無邪気な信頼感

以前に読んだ黒川伊保子さんの本「『ぐずぐず脳』をきっぱり治す!人生を変える7日間プログラム」のあとがきに、黒川さんご自身のステキなエピソードが紹介されていました。黒川さんがまだ10歳くらいの子供だった頃、お母様と大喧嘩をして、お母様を泣かせてしまった。そこにお父様が帰宅。ことの経緯をお父様に伝え、自分が正しいと信じて疑わない黒川さんは、当然、父親は自分の味方をしてくれるものと思っていたのです。しかし、お父様はそうはならなかった。少し引用します。

 「どちらが正しいか、俺は知らん。しかし、母親を泣かせた以上、お前が悪い。よく覚えておくといい。この家は、母さんが幸せに暮らす家だ。母さんを不幸にしたやつは、それだけで負けなんだ」
私はショックだった。意外にも、爽快なショックだったのである。
父が母を徹底して尊重したことは、娘の私にとって、本当にありがたいことだった。そのおかげで、男性に対してとても無邪気な信頼感を持つようになったから。男は、いったん愛すると決めたら、いちいち評価なんてしないものだと、すとんと信じられたのである。

この世が愛で溢れていることを実感したというこのエピソードで、この本を終わらせています。

この無邪気な信頼感というのが、とても気になっていました。
黒川さんは「男性に対して」の信頼感でしたが、その他にもいろいろなもの、親だとか、きょうだい、友達、社会だとか、人によっては会社だったり学校だったり、この無邪気な信頼感を持つことができれば、生きるのがとても楽になるのではないか。

少し前まで、私はこれを鈍感だと勘違いしていました。
鈍感力最強と思っていましたが、どうやらそうでもないようです。
相手に自分を委ねることができる信頼感なのではないかと。できれば無条件で信頼できる、それは無邪気な信頼感なのかなと。

にゃー将軍 (id:stoolpigeonn173) さんがブログで、保育士のてぃ先生の動画を紹介していました。

okawariwo.com


www.youtube.com

すごくいいなと思ったんですよ。
実は、私は、男性の保育士ってどうなの?とちょっと疑問に思っていたところがあって、でも、この動画を見て、その気持ちは吹き飛びました。
保育士という仕事に、真摯に取り組んでいるのはもちろんのことなのですが、この人のとてもやさしい人柄が伝わってくる。
私がこの先生を見て、そんな風に思ったのは、いったいどういう事なんだろう?と不思議に思ったのです。今まで男性の保育士を見て、肯定的な気持ちになったことはなかったし。

その時に、たまたま読んでいた本がこちらです。

www.shunjusha.co.jp

ポリヴェーガル理論というのは、一言ではなかなか言い尽くせないけれども、無理やり簡単にまとめてしまえば、自律神経とトラウマの関わりみたいなものです。
この本、最後まで読み終えないうちに、返却期限が来てしまいました。返してすぐにまた予約したのですが、今度借りられるのは12月になってしまいそうです。今度こそは最後まで読むぞ!(笑)
で、この本に書いてあったこと。
人は、特に子供は、少し甲高い声で、韻律の豊かな話し方で、安心を覚えるのですって。アニメの女の子話し方みたいな感じなのか?その時はあまりピンとこなかったのですが、そういえば、てぃ先生の声ってちょっと高いよね。そして、抑揚をつけた話し方するよね。あ、そうか、てぃ先生の声、そして話し方、私はきっと安心感を覚えていたのかもしれないと思ったのです。
きっと、子供たちも、このてぃ先生に安心感を覚えているんだろうな。

そうしたら、もっとこのてぃ先生のことを知りたいと思いました。
まずは、この人の書いた本を読んでみよう。
そう思って、借りてきたのがこちら。↓↓↓

honto.jp

保育園で子供たちと接する中で起きたエピソードが書いてあるのですが、これがとてもいい。笑ったり、大笑いしたり、涙が出るほど笑ったり、笑ってばかりで読んでいました。とてもステキなお話ばかりです。

特にもみじちゃん(仮名)のエピソードがかわいすぎる。もみじちゃんというと、どういうわけか頭の中でどうしても坊主頭のおっさんをイメージしてしまって、それを修正しながら読むのはとても大変でしたが、例えばこんな感じ。

クリスマス。もみじちゃんがサンタさんへ手紙を書くといいます。
先生「今日、もうプレゼントもらったでしょう?」
もみじ「ありがとうの おてがみなの。これも よんで くれるかな?」

うめちゃん(仮名)もかわいいです。

うめ「せんせい、『すき』って、10かいいって」
せんせい (ひっかけクイズだな?)「好き好き……好き!」
うめ「ありがとう💛」
なにこの高等テクニック。

タイトルの「ほぉ…、ここがちきゅうのほいくえんか。」も、しばらくお休みしていた園児が久しぶりに登園してきた時に言ったセリフです。かわいすぎます。
みんなてぃ先生が好き。それ以上に感じるのが、子供たちの無邪気さ。
会話というのは相手があって成立するもので、子供たちとてぃ先生の関係がとてもいいなと思ったのですよ。
無邪気な信頼感、そして安心感。
この子たちは皆、てぃ先生を通して、自分の生きている世界に対して、無邪気な信頼感を持っているのではないかなと思いました。それは安心感にもつながりますね。

子供のころ、私は大人がとても怖かった。
父や祖父、叔父、叔母、母にしたって私が体調を崩して寝込んでいる時以外は、怖いと思っていました。保育園の保育士さん、小学校に上がれば学校の先生。みんな怖かった。

動物の本能として、危機に遭遇すると、戦うまたは逃げる、このどちらかの反応になります。実はもう一つあります。戦うことも逃げることもできなければ、フリーズするんです。何も感じないようにして、苦痛を少しでも和らげるのだそうです。野生の動物の場合は、それは死んだふりになって、危うく生命の危機から免れることもあるようです。生きている獲物しか食べない動物もいますのでね。
私が無表情なのは、実はこういう事だったのです。笑うことも泣くこともできずにいたなぁと思う。
とても無邪気な信頼感、安心感など持てなかったし、もみじちゃんやうめちゃんのような、かわいらしい言葉を発することもできませんでした。

子どもは身近な大人を通して、社会を見ています。
つまり、身近な大人に対して信頼できずに、安心感を持てなければ、それはその後社会に対しても信頼できなくなってしまうのではないのか。安心して生きていくことができなくなってしまうのではないかと思うのです。
大人に保護されなければ生きていけない年頃に、その大人たちが怖いということは、いつでもどこでも、不安感をかかえていたということ。
どこにも安心していられる場所が無かったのだなと、今さらながら気が付くのでした。

ポリヴェーガル理論的に言えば、私が今、いつでも不安感に苛まれているのは、その子供の時の記憶が自律神経に影響を及ぼしてしまっているのが原因、ということにでもなりましょうか。
今さら誰を恨むということでもないけれども、せめて誰か一人だけでも、私が無邪気な子供でいることを許してくれる人がいたら......そう考えてはいけないのかなぁ?

うーん、やっぱり保育士ってとても大切な仕事ですよねぇ。
余計なトラウマを背負わせることになるのか、それとも、社会に対して、無邪気な信頼感を持てるようになるのか。もしかしたら、子供の一生が決まってしまうかも知れない現場なのですから。