私がプロ野球に一番夢中だったころに、いつもワクワクさせてくれた巨人の選手10選

日本のプロ野球も大詰を迎えました。
巨人は、9月に入ってからの大失速で、クライマックスシリーズも危うくなってきました。もしもクライマックスシリーズを勝ち抜けて、万が一、日本シリーズも勝ってしまえば話は別ですが、このままでいけば、たとえ球団が引き留めても、私は原監督は自ら退任するのではないかと思っています。それが巨人にとっても原さんにとっても、一番良い選択なのではないかと思っています。少し早いですが、原さんにはお疲れさまでしたと言っておきたいと思います。

さて、かれこれ40年近くも前のことですし、誰も興味のない話題かとも思いますが、私がプロ野球に夢中だった、小学生~高校生の頃を中心に、特に好きだった巨人の選手について語ってみたいと思います。

今は特別に巨人ファンだという自覚はありませんが、巨人戦のテレビ中継をやっていると、ついつい観てしまいます。

( )内は巨人での現役の在籍期間

1 王貞治(1959-80)

子どもの頃に、私が生まれて初めて憧れとか尊敬とか、そういった気持ちを持った人です。
よく「記憶の長嶋、記録の王」とアホなことを言うお人がいますが、そういうことを言う人たちは、ちょっと物忘れが激しいのとちゃいますか?そういう人たちに問い質したいのです。あの一本足打法という超個性的なバッティングフォームを見て、記憶に残らないというのはどういうことなのか?
私に言わせれば、「記録もすごいけど記憶はもっとスゴイ長嶋、記録も記憶も半端なくスゴイ王」ということになります。
あ、私は、長嶋さんの現役を見た記憶がないので、圧倒的に王さん派です。
この人はもう世俗界の人間ではありません。イチローさんにも尊敬されている王さん。
イチローさんのあるインタビューでの言葉です。
王監督に会った人たちは皆好きになる。僕に会った人は嫌いになる人も結構いる。」


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8 高田繁(1968-1980)

もともとは外野手。俊足、強肩、的確な状況判断で、フェンス直撃の2塁打性の打球をシングルヒットにしてしまう。塀際の魔術師と言われていましたね。
チーム事情で三塁手にコンバートされてからも、ものすごく高い守備能力を見せていました。
とても頭の良い選手でした。打順は2番を打つことが多くて、1番のセンター・柴田勲選手がどちらかというとばかっぽい感じだったので(失礼)、その分、高田さんは余計に知的に見えたような気がします。
三塁線に強いファールの打球を打つことが多くて、高田ファールと呼ばれていました。
高田さんの打順が回ってくると、三塁審判や三塁コーチは気が抜けませんでした(笑)。


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44 山本功児(1976-83)

本来のポジションは一塁手で、そこには世界の王がいたため、代打で出場することが多かった選手です。代打の切り札っていうやつです。代打での打率がとても高かったのです。
ときどきライトで先発出場することもあったし、決してあまり打てないから控えに甘んじていたということではなかったと思います。王さんが出られない時は、そのまま4番でファーストでしたし。当時の長嶋監督は、山本功児選手の代打としての能力をすごくかっていたのではないかと思うのです。
王さんが引退してからは、絶好調男中畑清とのポジション争いになりました。調子が上がらず控えになってしまうことが多かったのですが、その後、ロッテにトレードに出されてからは、三冠王落合博満らとともに、クリーンナップを任されるほどでした。現役引退後は、ロッテでコーチ、監督を務めています、
長身の長い手で上手にバットコントロールをする、とても器用な選手でした。
終盤の一番盛り上がってくるところで、代打、山本功児。私はいつもワクワクしていました。

そう言えば、プロ野球の好プレー珍プレーが始まるきっかけになった、中日・宇野選手のヘディング事件?(笑)。あの時のバッターは、この山本功児選手でした。


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30 江川卓(1979-87)

私が今までの全てのプロ野球選手の中で、一番好きな選手でした。
巨人に入団するときにいろいろと問題があったので、すっかりヒール役になってしまいましたが、実際のところはとても優しい「いい人」です。
大学では、当時は、先輩が後輩に対して理不尽なことをしてもそれが普通でした。下級生の時に理不尽なことをされると、上級生になると今度は自分がやる方になってしまうのです。それを変えなきゃいけない、そう考えて行動したのが江川さんでした。大学でもスーパースターでしたが、人間としてもとても優しい「いい人」だったのです。

とにかくホップするようにさえ見えるストレートが堪らない。とてもきれいな回転の真っすぐです。
指が短いため、変化球はあまりレパートリーがなく、カーブを2種類だけだったと憶えています。でも、あのストレートがあれば、余計な変化球は要らないですね。
オールスター戦での8連続奪三振。9人目の近鉄・大石第二郎選手には、カーブを合わされて9連続とはいきませんでしたが、本人はケロッとしていて、自分らしくていいんじゃないですかって言ってましたね。

個人的には、巨人にこだわらなくて良いから、監督やコーチとして現場に復帰してほしいなぁ。できれば、掛布さんと一緒に。同じチームでも良いし、違うチームでも良いし。


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37→6 篠塚和典(利夫)(1976-94)

天才・長嶋茂雄が惚れ込んだ天才です。
巨人軍としては、才能はあるかも知れないが、体も小さいし、しかも腰痛持ちの篠塚さんの獲得には難色を示していたのです。でも、当時の監督、長嶋さんは彼の才能に惚れ込んでいました、最終的には、長嶋さんが自分の気持ちを通して、獲得することになりました。
守備も打撃もとてもうまい。
いつも守備を楽々こなしているので、あまりうまいのがわからなかったのですが、テレビ中継でたまたまカメラが引いて撮影している時があって、その時に見てしまったのです。篠塚さんは1球1球でポジションを変えていたんですね。ピッチャーがモーションを起こすと、それに合わせてポジションを変えていたのです。そして動いたところにドンピシャで打球が飛んできたのを見てしまいました。
打つ方は、巧打者というイメージですが、私は彼の打つホームランが好きでした。体がホームベースの方に少し傾いて軸を作り、その軸を中心にきれいに回転するのです。
ヒットを打つ時のバッティングフォームとは全く違う。あれは狙って打っていたのではないかと思っています。本当に美しいフォームでした。
篠塚選手のホームランと言えば、一番印象に残っているのが、ヤクルト・伊藤智仁投手の奪三振記録がかかった打席でのサヨナラホームランです。
その時は、体が自然と反応したということでした。狙って打ったんじゃなかった(笑)。


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25→19→25 平田薫(1976-83)

正に左殺し
左ピッチャーにはめっぽう強くて、左ピッチャー相手に代打で出場することが多かった選手です。1981年の日本シリーズでは、日本ハムの左ピッチャー、木田投手や高橋一三投手を打ち込んで、MVPにもなっていますね。

どうでも良い話ですが、テレビのドラマを見ていたら、キャストに「平田薫」と出ていたことがあって、まさか俳優転身???と思って調べたのですよ。
残念ながら同姓同名の女優さんでした。とてもかわいらしい人で、こちらの平田薫とは大違いで笑いました。


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間違えました(笑)


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44 山本雅夫(1984-86)

2代目左殺し!!!
前出の平田選手と入れ替わるように、南海(今のソフトバンクホークス)からトレードでやってきました。巨人在籍はわずか3シーズンでしたが、私には印象に残りまくりでした。背番号44番というと、世の中一般的には阪神ランディ・バース選手でしたが、私にはこの山本雅です。そのころ、友人たちとへっぽこ野球チームを作っていまして、私の背番号は44番でした。


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49 ウォーレン・クロマティ(1984-90)

現役バリバリのメジャーリーガーでした。
王さんを尊敬していて、自分の息子のミドルネームに「オー」と名付けるほどでした。
とにかく明るい選手で、全身で球場を盛り上げようとしていましたね。
中日・宮下投手との乱闘事件、敬遠四球を打ってタイムリーヒット、何よりも思い出に残っているのは、頭にデッドボールをくらって、病院に搬送されたその次の日に代打でホームラン。あれは痺れました。

因縁の宮下投手とは、今では仲がいいみたいですね(笑)。


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54→17 槙原寛己(1982-2001)

未だに阪神タイガーズ相手にやられた、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発が、ほとんどネタとして語られることがありますが、彼の名誉のために、声を大にして言いたい。現役通して、阪神相手には滅法強かったのです。
1軍デビューも阪神戦でした。まだひょろっと痩せた体で、全力で、しかもほぼ真直ぐだけで投げてい姿は、とても初々しくて引き込まれました。
後にスライダーを覚えましたが、当時の槙原投手は、真直ぐの他にはしょんべんカーブくらいしかなかったと思います。その直球ばかりを全力で投げ込んでの勝利でした。
延長10回を一人で投げ抜いて、1-0の完封勝利。
阪神としては悔しかったでしょうねぇ。あの3連発までは、ずっと阪神キラーだったんです。
槙原投手は大一番で弱かったり、かと思えば、完全試合を達成したり。
本当はスゴイ選手だったのに、今ではテレビに出るといじられキャラだったり。
振り幅が大きくて面白いとしか言いようがないです。


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50→10 駒田徳広(1981-93)

満塁男!!!

満塁には滅法強くて、それが一番強い印象なのですが、意外にも?守備の方でも、ゴールデングラブ賞10回獲得しているんですね。

そう言えば、3連敗の後に4連勝した近鉄との日本シリーズも強く記憶に残っています。
「巨人はパリーグの最下位のロッテよりも弱い」ともとれる発言してしまった、近鉄・加藤ピッチャーからホームランを打って、ダイヤモンドをまわるときに、加藤ピッチャーに「バー○」と言ったとか言わなかったとか。
いろいろと派手な選手でした。


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↑↑↑↑ 清の現役最後のホームランも映っているよ!!!

 

本当は中畑清選手とか、江川さんの代わりに阪神に行った小林投手とか、大魔神張本勲さんとか、史上最強の5番打者と言われた毒蝮・柳田真宏選手とか、同時期にショートのポジションを争った、川相、岡崎、勝呂、鴻野の4選手とか、引退後に居酒屋を始めた中井康之選手とか、語りだしたらきりがありません。
泣く泣く絞った10人なのでした。

最近だったら、山口鉄也投手とか、故・木村拓也さんも好きだったなぁ。
今季限りで引退することになった、亀井善行選手。とても寂しいです。

それにしても、10人分書くのはなかなか大変な作業ですね。
本当は一人一人、もっと語りたいところですが、10人となるとこれはキツイ。
体力の限界なのでした。

 

 

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