読書の記録 2021/45週 11/1(月)~7(日)

スキバサミを買ってきて以来、ときどきちょこちょこ普通のハサミで髪の毛を切っては、スキバサミですいています。
今日もサイドのボリュームが気になって、まずは左サイドの髪の毛をスキバサミですいたのですよ。と言うか、スキバサミですいたつもりだったのです。

落ちてきた髪の毛を見てビックリ。思ったよりもたくさんの髪の毛が落ちてきたのです。恐る恐る右手を見たら、な、な、なんと、それはスキバサミではなく、普通のハサミでした。やっちまたぁ――――...
鏡を覗いてみると、何と言うか、ツーブロックの出来損ないのようになっていました。それも左側だけ。
明日は帽子を脱いで人前に出なければならないのです。どうしよう...
髪の毛を切りに行こうにも、もう夜だし。
仕方ないので、右側も左側と同じくらいまで切ることにしました。右側もツーブロックの出来損ないです。後はそこまで切る勇気はないので、ずいぶんとアンバランスな髪形です。何となくアナーキーっぽいかな(笑)

本の記録 借りてきた本・買ってきた本

前週までに図書館で借りていた本

自閉症革命 マーサ・ハーバート、カレン・ワイントローブ著
NHK新フランス語入門 吉石篤子著
・60歳からのフランス語入門 滝沢孝幸、大岩昌子著
・他者の靴を履く アナ―キックエンパシーのすすめ ブレイディみかこ
・13歳からのアート思考 末永幸歩著
・だいたいで楽しいフランス語入門 稲垣正久著
・それでも、日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子

今週、図書館で借りてきた本

平等バカ 池田清彦

ホンマでっかTVでお馴染みの、池田先生の本です。しかし、なんで、この池田先生と言い、養老先生と言い、虫捕りが好きな人って「バカ」が好きなんだろ?

果糖中毒 ロバート・H・ラスティグ著

以前に借りて、翻訳本故のわかりにくさ?というよりは私の本を読むスキルが足りないのでしょう、無駄に遠回りする展開に、なかなか進まなくて、やっとエンジンがかかって調子に乗ってきたところで、返却期限になってしまいました。
簡単に言えば、肥満になるメカニズムを書いた本なのですが、とても分厚い。たぶん、うまく要所要所でまとめて書いたら、1/3くらいで収まりそうな気がするんですけどね。
おもしろくなってきたところで返してしまったので、また借りてきました。
でも、またエンジンがかからなくて、読み終える前に期限になってしまいそうな気がします。

あなたの脳の話 神経科学者が解き明かす意識の謎 デイヴィッド・イーグルマン著

これはスカリー捜査官 (id:AgentScully)さんの、本棚探偵の記事に載っていた本です。

blog.the-x-chapters.info

スカリーさんの本棚探偵は、いつもたくさん笑わせていただいております。
あ、この本は笑わせてもらおうと思って借りてきたわけではないですよ。当たり前か(笑)。
自分の吃音とか、妹の統失とか、脳のことにいろいろと興味があるのです。

読了

他者の靴を履く アナ―キック・エンパシーのすすめ ブレイディみかこ

books.bunshun.jp

読書の記録

自分で買った本は返却期限がないものだから、どうしても後回しになってしまいます。
ブレイディさんの「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を文庫本発売のタイミングで買って、最初の1割程度読んだ後、そのままになっています。とてもおもしろいのですが、それでも後回しになってしまう。
「他者の靴を履く…」は、この「僕はイエローで…」で書いた、エンパシーの部分がとても反響があって、このエンパシーに絞って書いたのだとか。
シンパシーとエンパシー、日本語に翻訳すればどちらも「共感」ということになってしまうけども、ニュアンスが違う。
シンパシーは同情したり相手の考えに同調するというようなこと。相手は誰でも良いというわけではなく、限定的。エンパシーは、相手の立場になって考えるということ。それは相手を選ばない。そして、後天的に訓練をして獲得することができる能力。そんな感じでしょうか。
エンパシーの能力を高めるのは良いけれども、私はそうしたら、エンパシーの能力を持っているが故に苦しむこともいろいろと出てくるのではないかと、この能力を得ることに単純に賛成はできないなと思っていました。

意見が対立した二人がいて、片方はエンパシーの能力を持ち、もう一人は相手のことなど一切顧みない人だという場合。
結局はエンパシーの方が相手に譲ってしまい、自分の意見を引っ込めてしまうことになる。
個人個人の幸せを考えたら、相手よりもまず自分のことを考えている方が、より自由になれます。エンパシーというのは、自分よりも相手を優先してしまいがちになるのではないか。それがさらに進めば、共依存のような状態になり、苦しむことになるのではないか。そんな風に考えています。

ただ、この「他者の靴を…」にもエンパシーにかかわる問題点が書いてあったのには救われました。一方的に、エンパシーの能力が素晴らしいで終わっていなかったのです。
たとえば、ビジネスに利用されてしまったり、政治に利用されてしまったり。
例えば、トランプがアメリカの大統領選挙で勝った時の話。
トランプの支持者には、意外にも?人の良い優しい人が多いのだとか。つまりエンパシーの能力の高い人たちを利用するのが、トランプはとてもうまかったというのです。

そうなってくると、もこれは悲劇としか言いようがない。
それで著者は、エンパシーが正しく使われるには、アナーキズムが必要なのだと訴えているのです。つまりアナ―キック・エンパシー。
アナーキズムに関しては、私自身ちゃんと説明できるくらい意味を理解しているのか甚だ疑問ではありますので、ここではあまり詳しく書くことはできそうもありません。
ただ、エンパシーの能力を磨くと同時に、しっかりと自分の意見を持ち、相手の意見を聞くのと同じくらい、自分を主張しましょうということのようです。
私の中ではまだ、ブレイディさんが何を訴えているのか、十分に熟成していないような気がします。もう少し読み込まないと…

エンパシーなのかシンパシーなのか、ちょっと考えさせられることがありました。

先日の、自転車のに乗った女の子がスカートが車輪に絡んで困っていて、それを手伝ったという記事のことです。後からまた恒例の?(笑)一人反省会が始まって、これで良かったのかなという気持ちになったということを書きました。

tohost3250303.hatenablog.com

実は、自転車の件と一人反省会の間には、もう一クッションあったのです。

帰り道で私の目の前に、20代か30代くらいの、若い女性の方が、白杖を使って歩いていました。
視覚障害を持った人が外出するときに使う白い杖です。イメージできない方は、こちらをご覧ください。杉咲花ちゃんが熱演しております。

tver.jp

tver.jp

私には、視覚障害を持った叔母がいました(すでに亡くなっています)。
病気によって後天的に障害を持ちました。白杖を使い始めて間もない頃は、外出をする練習にときどき付き合っていました。後をついていって、もしも何か危険なことがあったら教えてというものでした。目が見えないことの大変さは知っているつもりですし、だからと言って特別視せずに、同じ人間として付き合うことも知っているつもりです。
かわいそうだと同情するよりも、ただ困っていることがあれば手伝う。それが普通のこと。そういう感覚です。
アフガニスタンでお亡くなりになった中村哲医師の言葉
「困っている人がいたら手を差し伸べる 、それは普通のことです」
この言葉がとても心に突き刺さっています。正にその通りだと思っています。

話が逸れてしまいましたが、その白杖の女性。
何か困ったことはないかなと、ずっと視界の中に入れて歩いていました。
後から車が来て、それに気が付いた彼女は、自分が歩いていたルートを少し外れて立ち止まり、車を先に行かせました。
そして、その後に、その場で立ったまま動きませんでした。

しばらく様子を見ていたのですが、全く歩き始めようとしない。
もしかしたら、車に道を譲ることによって、普段自分が歩いているルートから外れて、方向性を失ってしまったのかな?と思ったのです。
そこで「大丈夫ですか?」と声をかけたのです。
その時の彼女の反応は「はぁ?別に困っていませんけど。ただ車が来たから先に行かせただけ。」
困ってないのならそれでよいのです。良かった。
でも、彼女の反応に少し複雑な気持ちになってしまったのです。明らかに不機嫌になっていました。私としては、大丈夫なら大丈夫で、普通に「大丈夫です」と言ってくれたら良いのに。
もしかしたら、日ごろからいちいち声をかけられていて、面倒くさかったのかもしれない、またはかわいそうだと思われていると思い、そこに抵抗があるのかもしれない。
逆に、今まで声をかけられたことがなくて、ただ戸惑っていただけなのかもしれない。
私がどのような気持ちで声をかけたのか、そこで説明するには、ちょっと話が長すぎてしまって現実的ではないですし。
一方で、私自身が、困っている時に誰かに助けを求めるのがすごく苦手です。困っている時に誰かが声をかけてくれたら、心からありがたいと思うし、私のように助けを求められない、そういう人はたくさんいると思うのです。たまたまその時に、困っていなかったとしても、私なら気をかけてくださったことについて感謝すると思います。
だからこそ気が付けば、自分も先回りして察して、声をかけてあげたいと思っています。この時もそのような気持ちで声をかけたつもりです。
でもその結果として、不快に思う人もいるのだなと思うと、とても複雑な気持ちになってしまいました。

前出の自転車の女性ももしかしたら、表面的には感謝の気持ちを表してくれましたが、実は心の奥底では、とても不快に思っていたのではないか、そのような考えが頭の中を支配してきてしまったのです。本当のところは、私には全くわかりませんが。

こんなこと、私が細かすぎるのかも知れません。大抵の人は何とも思わないのかも。
でも、困っている人がいたら手を差し伸べたいと思う気持ちが最初から無ければ、こんな気持ちになることもなかったのかな。
それともこれはエンパシーではなくて、シンパシーになるのか?
自分としては同情という気持ちは無いつもりなのですが。

自転車の女性の記事については、励ましのコメントを寄せていただきました。ありがとうございました。
たぶん私は、これからも性懲りもなく、困っていそうな人がいたら声をかけてしまうと思います。やっぱり後悔したくない、そう思うのでした。不審者に見えませんように…