送った年賀状が戻ってきたこと

※ちょっと重い話です。コメントをいただいても、返事できないかもしれません。

昨年末からちょっと心に引っかかることがありまして、もう今となってはどうしようもないことなのですが、この気持ちをどこかに残しておきたいと思っていました、
やっとこの気持ちが落ち着いてきたところで、M (id:mmiimm)さんのブログの記事を読んで、あら、かぶってる(笑)と思ったら、踏ん切りがつきました。そしてこのブログに書いちゃうことにしました。まぁね、私の場合は結婚の約束をしたわけではないんだけどね。

bigma.hatenablog.com

私としてはその人のことが大好きで、いつお付き合いに発展しても、それこそ結婚ということになっても、大歓迎なのでした。
でも、ここには書けないけれども、彼女の方はいろいろなことを抱えてしまっていて、もう身動きができなくて、私はただ見守ってあげる、それだけしかできないのでした。

すごく遠いところに住んでいたので、手紙をずいぶんとたくさん書きました。
あとは時々電話でも話をしました。
いつだったか、とても悲しい声で、
「年をとったら○○さん(←私のこと)と茶飲みと友達になりたい。お互いおじいちゃんおばあちゃんになったら、縁側でお茶でも飲みながら、お話したい」
彼女の事情をうっすらと知ってしまっていた私は、「そうだねぇ、そうなるといいねぇ」としか言えませんでした。

その人とはたくさんたくさん話をしました。
飛行機に乗って会いに行ったこともありましたが、大抵は電話でした。
一番長い時で、24時間を超えることもありました。若さ故です。電話代が怖かった...
ある時、彼女が大好きなオフコースの話をしていた時、すごく楽しそうに言ったのです。

「○○さん(←私のこと)には愛が足りないんですよ。」

え?私の気持ちは伝えてあったし、そこでそれを言う?(笑)
その意味を、言った本人に直接聞いてしまうのは無粋ですし、でも、いったいどういう意味だったのだろう?とずっともう20年以上、ずっと考えていました。

ずいぶんと前になりますが、なる (id:nantoka-naru)さんの記事が、今でもとても気にかかっています。

nantoka-naru.hatenablog.com

これを読んで、私はずっと自分のことを大切にしてこなかったなぁと、強く思ったのです。
もしかしたら、彼女が言おうとしていたのは、このことだったのでは?
もっと自分を大切にしなくちゃいけないよ、自分を愛さなくちゃいけないよ。

もしかしたら自分を愛せない人は、他者を愛せないのかもしれません。自分を大切にできない人は、他者を大切にできないかもしれません。
私はこの先、自分を愛せるようになるかな?誰かを愛せるようになるかな?

どうしても他者優先になってしまいます。ある意味、自分がない。
でもね、彼女も同じ。もう笑い話になってしまいそうですが、私も彼女にはもっと自分を大切にしなくちゃダメだよって思っていました。口にはしませんでしたが。

昨年末に、自分が出した年賀状が1枚、受取人不明で戻ってきました。
なぜ?という気持ちよりも、ついにこの日が来てしまった、そういう思いの方が強かったです。

毎年ずっと、年賀状を送り続けていたのですが、返信は全く無かったのです。

実は、数年前までは、この人からは毎年年賀状をいただいていて、私は仕事の忙しさにかまけて、返信を送ることをしなかった。
言い訳になってしまいますが、私の仕事は年末の忙しさは半端なかった。
ほとんど鬱になりそうな、いつ過労死してもおかしくないほどの忙しさでした。
仕事が終われば、あとは何もできない。
年末は家にいる時間が1日に3~4時間くらいしか取れないなんていうのは当たり前で、そうなるとちょっと仮眠して、すぐにまた仕事に行くといった生活でした。お店の定休日はあったものの、やり残した仕事がたくさんあって、結局、平日とそう変わらない時間働いていました。
年を越すと、何もできない、考えたくない、ただ眠りたい。
年賀状を書く気力さえも残っていませんでした。

そんなことを繰り返していると、だんだんといただく年賀状が減ってきます。
仕事関連以外のものはほとんどなくなってしまって、プライベートではついにその人の1枚だけになってしまったものです。
そんな状況の中でも、ずっとその人は私に年賀状を送ってくださったのでした。

そして数年前に、ついにその人からも送られてこなくなり、プライベートでもらったものは全くなくなりました。

仕事から離れて、返信をしなかった何人かの人に、年賀状を書いてみました。
大抵は返信をくれたり、電話がかかってきたりしましたが、その人だけは何の音沙汰もなし。
もしかしたら引っ越してしまった可能性もありますが、宛先人不明で戻ってくることもなかったし、毎年ずっと送り続けていました。

ちゃんと返事を書かなかった懺悔のような気持ちです。

元気でいてくれたら、幸せに暮らしていてくれたら、もうそれで十分。それ以上のことは何も望みません。というよりも、望んではいけないなという気持ちです。

でももう生きていないのではないかという不安も過ります。
本人は健康です、元気ですと言っていましたが、どうみても体が丈夫そうには見えなかったし、とても繊細な人で、周りの悪い空気を皆引き受けてしまいます。ひとりで何でも抱え込んで、ストレスを溜めてしまう人。
そして、父親が法律関係の仕事をしていたこともあって、父親の勧めで若いうちから遺言状を書いていたのです。そこには「自分が死んでも、誰にも知らせないように」と書いたそうです。彼女が死んでも、私には連絡が来ないのです。

いつかまた会えたらいいなと漠然と思っていたのですが、送った年賀状が戻ってきたことで、その人との間にある、細い、本当に細い糸が、プツンと切れてしまったようです。

綾小路きみまろでしたっけ、「人生ひまつぶし」とはよく言ったものです。
私の人生の最後にはその人との再会があって、そこに至るまでは全てひまつぶし。
今の私の全てのこと、例えばピアノを弾いてみたいとか、ブログを書いてみたりとか、どれもこれももしかしたらその人と会った時のために、話題をいっぱい作っておきたかった、ただそれだけだったのかも知れません。

自分の未来から伸びている糸が切れてしまったような思いです。
これから何を希望に生きて行こうか、ちょっと迷子になりそうです。

もう20年以くらい前になりますが、その人からもらったクリスマスのプレゼントのワイン。
いつかまた会う機会があったら、その時に開けて、一緒に飲みたいと思っていました。
飲んでしまうと、もうその人には一生会えなくなるのではないかという気持ちで、ずっと開けずにいたのです。
このワインを開けるのはいつになるのだろう?

本当は、若いうちに飲んだ方がおいしいワインなのです。
でも、すっかりヴィンテージワインになってしまった(笑)。
まだしばらく、開けることはできなさそうです。