子供を守ること、そして人生は美しい。

オリンピックについては書かないつもりでいました。
ほとんど見ていないので、書けるはずもない。
私は競技そのものに興味が無ければ、やっぱり見たいと思いません。
今までは自分が興味を持っていない競技でも見ていましたが、もう飽きてしまったなという感じでしょうか。
オリンピックの存在意義に関しては、お金儲けをしたい人と国威発揚に利用したい人と、それでも出場したい選手がいる限り、どうしようもないでしょう。選手の方からもっと声を出してくれたらいいのにと思っています。

ほとんど興味の対象外だったのですが、それでもニュースを見ていると、いろいろと情報が入ってきてしまいます。
何よりも気になってしまったのは、やはりロシアの選手のドーピング問題です。

ロシアって、ドーピングで国としての出場を認められていないのですよね?
でも、選手のバックには、国、もしくは国の管理下にある機関が動いているわけで、実質、普通のナショナルチームと変わらないじゃないですか。コーチだってロシア人だし。だいたい、ロシアの大統領が国賓として招かれているってどういうこと?
あらゆる条件を満たした「選手だけ」が参加できる、そういう事ならまだ納得できるけど、それ以外は遠慮しないとなぁと思うのですけどねぇ。

ドーピングの対象になる薬を服用しているおじいさんと食器を共有したとか、かなり苦しい言い訳だと思うけど、100歩譲って、仮にそれが本当にドーピング陽性になった理由だとしても、この状況下でドーピングの意識が低すぎるとしか言いようがない。本来なら、神経質すぎるほど神経質になっていて当たり前でしょう?
未だに国家ぐるみでやっているとしか思えないのです。

それよりももっと残念だなと思ったのが、誰にもこの15歳の「子供」を守ろうという視点がなかったこと。

ドーピングが発覚した時点で、やはり出場は取りやめにするべきだったと思います。
世界中は競技よりもそのことでこの選手を注目してしまうでしょう。それがどれだけ辛い思いをすることになるのか。
要保護対象なので出場を認めたなどというけれども、本当に保護する気があるなら、まずはこの「子供」をメディアに晒さないことが大切だったのではないかと思っています。

推測の域を出ませんが、たぶんこの「子供」はドーピングの自覚があったとしても、コーチなどの「大人」に言われるがままに、もしかしたらそれこそパワハラまがいの方法で、本人の意思に反して禁止薬物を摂ってしまったのではないのかなと思っています。
そして、自覚があろうとなかろうと、やっぱり責任は大人が負うべき。
責任のあるポジションの人達はすべて解任、永久追放、それくらいの措置が必要だと思います。そして、選手本人には責任がないことを周囲に理解してもらい、ペナルティを少しでも軽減する方向に努力していく、こうするべきだったと思うし、それこそが「保護」ということになるのではないか。

競技には出場できなくても、もしも周囲の同意が得られれば、エキシビジョンには出させてあげても良かったのかな、そう思っています。

それにしても、子供が事件に巻き込まれたり、さらに親によって命を落としてしまったり、そういう事件がある度に胸がとても苦しくなります。
子どもは大人が守ってあげなければいけないのに。
それが自分の子供であろうとなかろうと。

私が大好きな映画。「ライフイズビューティフル」


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子供を命がけで守り抜いたお父ちゃんの物語。

身分の違う女性、ドーラに一目ぼれしてしまった主人公のグイドはユダヤ系のイタリア人。
あの手この手を使って口説いていくのですが、たくさんネタを仕込んであって、前半はコメディ映画そのもの。
努力の甲斐があって、思いが叶い、子供ももうけて幸せな日々を送るはずでした。
戦時下で、グイドとユダヤの血を引いている息子、ジョスエはナチス強制収容所に連行されてしまう。
グイドは最後まで希望を失わず、愛息ジョスエにとてもかわいらしい「嘘」をつき続けるのです。

自分にとっては、大人が子供を守る、このことについてとても考えさせられた映画でした。私が父親になれるとしたら、こういう父親になりたい、そう強く強く思ったものです。今となっては、とても叶いませんが...。

この映画にひとつだけケチをつけるとしたら、最後にとてもとても大きな伏線回収があるのですが、そのシーンにはドーラとジョスエだけで、グイドがいなかったこと。
グイドには最後まで生きていて欲しかったなと、そう思っています。