読了 「最新の脳研究でわかった! 自律する子の育て方」

先週借りてきた本のうち、やっと1冊を読み終えました。

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著者がどのような人だとか、概要はこちらをご覧ください。

www.sbcr.jp

キーワードは「心理的安全」と「メタ認知」です。

心理的安全

この心理的安全についての部分を読んでいる時は、思わず涙がこぼれてしまいました。
私は子供のころ、大人が怖かった。家でも学校や保育園でも、どこでも大人が怖かったのです。
自分ではなぜ怒られているのか分からない、なぜ私が怒られなければならなかったのか分からない、そんなことばかりでした。
大人だけではありません。年子の兄もそうです。
皆、自分の都合の良いように私を操ろうとする。機嫌が悪い時は、かまわず怒鳴りつける。

いつも怯えていたような気がします。
いつも一人になりたかった、
でも、大家族でしたので、とても一人になれる時間も空間もなく、削られてばかりだったと思います。いつも緊張状態で、夜もなかなか眠れず、そのぶん朝は起きれません。そして、また怒鳴られる。場合によっては、暴力になることも。

そのような中で、心理的安全など、感じられるはずがありません。

以前に読んだ、黒川伊保子さんの本に書いてあった「無邪気な信頼感」という言葉が、とても気に入っています。

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子供が大人に対して、この「無邪気な信頼感」を持てることがとても大切なのではないかと思っています。例えば、困ったことがあれば無条件で助けてくれる、味方になってくれる、頼って良いのだ、そんな感じでしょうか。
この「心理的安全」というのは、まさにそれ。

だから、例えば生命の危険があるような特殊な事情の場合を除いて、叱ってはいけないのです。
頼るということは、自分の欠けている部分があるからこそです。それは叱られるということにもつながりかねない。
自分をやたらと叱る人に、無邪気な信頼感など持てないのです。

すこし前に読んだ「〈叱る依存〉がとまらない (村中直人著)」でも、叱ることの害について書いてありました。

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脳科学的にも、それは間違いではないのです。

脳というものは、使わなければどんどんダメになっていきます。そして、使えば使うだけ、機能も向上していきます。
いつも叱られるなど、ストレスが強い環境にいると、耐性がついてくると考えられがちですが、実はそうではない。脳のストレスを感じる部分が発達していきます、そして敏感になっていく、つまり少しのストレスでも、だんだんと強く圧し掛かってくるようになる。
これは、生命の生き残りという意味では、人間にとって自然な変化なのだそうです。ストレスを感じる、つまりそれは生命の危機を感じるということ。いつも危機を感じていれば、だんだんと敏感になり、防御の体勢をとったり、もしくは闘争や逃走しなればなりません。さらにもっと危機感を覚えれば、固まって動けなくなる、これもまたストレスに対する反応なのです。結果として、いつも怯えていて、自分では何も決められない、問題解決ができなくなっていきます。

...これが今の私の姿です。

私の場合は、吃音、そして大人たちの理不尽な態度も加わり、いつもストレスを感じていました。誰も助けてくれない、頼れない、自分でも何をどうすれば良いか分からない。
本当なら、疲れたら休めばよいものを、いつも何とかしなくちゃと頑張りすぎました。何とかしようと思ったところで、どうにもならないのに。それこそ、登校拒否でもしたら良かったのかと、今になってそう思います。

著者は、たとえ問題行動があったとしても、叱ってはいけないと言います。
そのような時は、以下の3つの声掛けが大切なのだと言います。

1、どうしたの?何があったの?
2、どうしたいの?
3、何か手伝えることはあるか?

何を言っても否定してはいけません。
子供たちが、この3つの問いに答えようと考える時、メタ認知が必要になってきます。
このメタ認知を育てることが、教育にはとても大切なのだそうです。

メタ認知

これは高度な認知ということ。
自分が認知していることを認知する。
自分を俯瞰的に観る。

このメタ認知を育てることで、落ち着きを取り戻し、課題に自ら取り組むようになっていく。そういう事らしいです。つまり自律するということ。

このメタ認知については、私自身、よく咀嚼できていない部分があります。
次は、このメタ認知のついての本を探して、読んでみたいと思っています。

この本は、特に心理的安全の部分については、教育関係者、子育て中のお父さんお母さん、またこれから子育てをしようとする人たち、そして何よりも、私のように「誤った教育」によって削られてしまった人たちに、是非読んで欲しいと思います。
もう私のような人間を作らないように、そして私のようになってしまった人が、少しでもその呪縛から解放されるように。