テレビで吃音を取り上げていました。

最近、テレビで吃音が取り上げられていました。

一つはNHKのドキュメント。
アメリカの吃音の子供たちを集めたキャンプ。

www.nhk.jp

もう一つはNHKのニュースで取り上げられていた「注文に時間がかかるカフェ」。
店員さんが皆吃音者。1日限定で、不定期ですがいろいろな所で催行されているようです。
主催者の方(やはりご自身も吃音者です)のブログやSNS等は以前から読ませていただいていたので、ずっと気になっていました。


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どちらもうまくしゃべれなくてもいいんだよという環境を作ってあげるという意味では、とてもステキな企画だと思います。
そして、吃音の人って、孤立していることが多くて、同じ悩みを抱えている人に出会えるというだけでも、少しでも孤独感を癒せることになります。私自身、大学生の時に民間の吃音矯正所に通うようになって初めて、生の吃音者に出会えましたから。
吃音者って、100人に一人いると言われていますが、それって決して少ない数字ではないと思うんですよね。でも、なかなか本物に出会えることがないのです。
保育園から小学校、中学校、高校と同じ学年の人だけでも数百人に及ぶ人と出会っているはず。それなのにその中に吃音者の人は一人もいませんでした。
正確に言うと、相手が吃音者だと認識できることが少ない。なぜなら、吃音の人は皆、自分の吃音を隠そうとするから。できるだけ話さなくて済むようにするし、話さなくてはいけない場面には出て行かないようにするし、そのためにはいろいろなことをあきらめるし。

よく吃音について理解してほしいというようなことを言う人がいます。もちろん理解してもらうことに越したことはないのですが、そのためには自分の吃音を世間に晒すのが一番効果的です。一度だけだはなく、何度も何度も繰り返しどもりまくって、自分がこんなに困っているんだ、苦しんでいるんだと示し続けるのです。
しかし、そんなことをしていたら、自分の心を維持できなくなります。どんどんすり減っていきます。

 

今回の二つのテレビ。このような番組やニュースで吃音を持っている人が話しているのを見る度に、とても胸が苦しくなります。

自分の現実を見てしまったという感じです。

自分が思っている以上に聞き取りにくいし、そして顔を歪めて話す姿は、正直言って醜い。
自分もそうなのだと思うと、とても辛い気持ちになります。
よく周りの人は気にしていないと言いますが、そんなことは分かっているのです。
私だって、自分の周りに誰か障害や病気等で困っている人がいても、何かお手伝いできることはないかなと気を配ることはあっても、その人を邪魔だと思ったり、いなければいいのになどと思うことはありません。
でも、誰よりも一番気にしているのは自分自身。
気にするなと言われても、自動的に心も身体も反応してしまうのです。
それにも増して辛いのは、吃音というのは恐怖感を伴うということ。
不安であり、とても怖いのです。その気持ちを思い出させてしまう。
繰り返しの失敗で、それがトラウマになってしまっているようです。

 

どちらもステキな企画だと書きましたが、ただでさえ吃音で緊張するのに、そこにメディアの取材が入るっていうのはちょっとかわいそうな気がしました。
これを見た人に吃音を知ってもらうためには仕方ない。
カフェの方は、参加の条件に、メディア対応というのも入っているようですし。
本当なら、1日限定ではなくて、継続的に少しずつ慣らしていける環境があればもっといいのに。
お客さんに対して、初めは何も話さなくてもいいよ、慣れてきたら少しずつ自分から話してみようね。こんな感じで、話さなくてはいけないという感覚が薄れてきたら(つまり、心理的な安心・安全を確認できてから)、それから話してみる、それでよいのかなと思います。

テレビに出てきた若い人たちはみんないい子ばかり。
真面目で一生懸命で。
よく神様は乗り越えられる試練しか与えないみたいなことを言う人がいますが、クソだと思います。そんな神様ならいらない。

私は自分自身の吃音への対応を間違えてしまったと思っていますが、この若い人たちは間違えることなく、たとえ吃音そのものが改善されないとしても、少しでも吃音の苦しみから解放されますように願わずにはいられません。