読了 「メタ認知 あなたの頭はもっとよくなる」三宮真智子著

以前に読んだ、「最新の研究でわかった!自律する子の育て方」という本に、子供の学習に大切なのは、精神的安全性とメタ認知ということが書いてありました。

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メタ認知というものがいまいちピンとこなくて、図書館で検索してみたのですが、あまりヒットするものがないのですね。まだ新しい概念なのかな?
大体どんな感じか、大まかにわかればよいので、さらっと読めそうな新書を選びました。

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読んではみたものの、漠然としていて、つかみどころがない感じ。
認知を認知する。それは自分を俯瞰する、つまり今学んでいる状態をもう一人の自分が見守るということなのかな。
例えば、今の自分の状態を把握する。→睡眠が十分にとれていなければ、これ以上学習しても頭に入らないだろうから、休憩をとる。のようなこと。
また、自分が今考えていることについて、思い違いはないか、別の角度から考えてみる。
などなど、本当に多岐に及ぶのです。

もしかしたら、昔、私が数学の勉強をする時の、全体を見渡すところから始めることなのか?

いろいろと技術的なことも書いてありましたが、一人でこれらを実践していくのは難しいとも書いてある。
つまり他者からの助言も、メタ認知にはとても役立つ。
そこには円滑なコミュニケーションも必要ですし、「最新の研究でわかった!自律する子の育て方」のもう一つのキーワード、精神的安全性が前提となるのではないかなと思います。
特に正解のない課題に取り組むときは、このメタ認知はとても重要だと思いますが、メタ認知の習慣は、できることなら子供のころから習慣づけたいところです。
メタ認知という教科を設けるというよりも、全ての教科でメタ認知を行使して取り組むことになります。
こうなると、教育の現場は、いまよりももっと教師の能力が問われることになってしまうでしょうし、今でさえ激務と言われている教師の仕事が、もっときついものになりそうです。どのようにこの概念を、子供の学習に取り入れていくか、これは大きな課題になりそうです。

実際のところ、私が子供の頃の教育って、こんなメタ認知なんていうものは一切感じられるものではありませんでした。教師や大人の求める子供の理想像を目指すことが要求されたのですから。教育という名の洗脳と言っても良いのかも。
もしくは、大人たちにとって都合の良い人を振り分けて選別していたとも言える。

それは、学校だけではなくて、家でも同じ。
建前では自分で考えなさいとは言われることはあっても、それは大人たちの思い描いているものにたどり着くことを要求されたのです。

今の教育や家庭のあり方はどうなんだろう?
子供のころから自分で考えて自分の責任で行動する、そういったことを習慣化しないと、大人になった時にとても生きずらさを感じることになります。そうやってできてしまった人間の不良品、それは私のことです。
少なくとも、高度経済成長の頃だったら、それほど考えることなく、社会の雰囲気に乗って流されていくだけでもそれなりの幸せをつかめたのかも知れません。でも今はそういう時代ではないな。

自分で考えて自分で問題解決をしていく。それはとても大変なことですし、根気のいることですし、しかし思うような結果にならなかったとしても、とても楽しいこと。
ただ、これが若い時から当たり前のこととして身についていないと、大人になってから変えるはとても困難です。暴力的な環境だったら、トラウマを抱えてしまって、行動に抑制がかかってしまうこともありますし。

私は高校生の頃に数学が大好きで、その時にそういったメタ認知の経験を初めてしたような気がします。教師なんてアホくらいに思っていましたし、模範解答など無視していましたし、それを覚えようと思ったこともありません。ずいぶんと個性的だと言われたこともあるし、そんなんじゃ受験では通用しないと言われたこともあります。暗記が苦手な私にとっては、その時その時で考えることで解くしかなかったのです。
でも、数学の問題を解いている時は、何時間考えていても全然苦痛ではありませんでした。楽しくて仕方なかったな。自分の人生の中で、一番楽しかった時です。

でも、できたら答えのない問題で経験することができていたら、もっと事態は変わっていたのかなと思うのです。
自分の考えて行動する、それを受け入れてくれる環境があること。そうしないと、自信なんて育まれないですから。

まずはそこから始めないと、そう思うのでした。