こんなことで抗議するって、吃音者ってそんなに偉いの?

ワイドナショーで、「水曜日のダウンタウン」への日本吃音協会からの抗議を取り上げていましたね。
それにしても、番組の中で切り抜き記事禁止ってやっていたのに、すぐに記事になってしまうのですね(笑)。

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いろいろと報道されているみたいなので、詳しい経緯は書かないけど、日本吃音協会って一体何なの?って思ってしまったよ。

私は吃音者。
音協会は吃音者を守っているつもりなんだろうけど、違和感しか感じなかったよ。

吃音の人って、私を含めて、吃音が出そうな場面では、どうしても口をつぐんでしまうし、そもそも話さなければならない場面を避けようとしてしまうんだよね。
だから、100人に1人もいると言われているのに、ぜんぜん認知されない。
私自身、吃音の矯正所みたいなところ以外で、吃音の人に出会ったことはほとんど無い。皆、自分の姿を目立たないようにしてしまう。
そうすると、普段から吃音者との接点のない人は、たまたま吃音に触れると、からかう対象になったり、必要以上に反応してしまう。

本当は、吃音がありふれたどこにでもある普通のことになってしまえば良いのだけれど、そのためには吃音者が吃音を隠さず、どこでも吃りまくらなくちゃいけないんだよ。

でも、私も含めて、それは吃音者にとっては、とても怖いこと。
トラウマになって、わかっていても、動けなくなってしまう人がほとんどだと思う。
そんな中、勇気があるのか、恥ずかしいという気持ちをどこかに置き忘れてしまったのか、吃音をもっているのに芸人を目指す人がいる。
そして、そのテレビ「水曜日のダウンタウン」では、その吃音を隠さず「どこにでもある普通のこと」として、扱ってくれたんだよ。

私としては、拍手喝采です。よくやってくれたくらいに思っています。

正直言って、メディアで吃音が取り上げられて、吃音者がうまく話せず苦しそうにしている様子は、見ているのが辛くなる。お笑いでなくて、シリアスに扱っていても辛いんだよ。
何年か前、映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を見た時だって、映画館で辛くなってきて、涙が出ちゃったよ。

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でもね、吃音者のいる風景が当たり前のものになって、この映画がただの娯楽映画として捉えてくれるくらいにならないと、いつまでたっても吃音者の肩身は狭いままになってしまうよ。

たぶん、日本吃音協会の抗議した人は、「水ダウ」を見て、とても辛い気持ちになったのでしょう。
でも、そこでいちいち抗議していたら、その吃音の芸人さん、テレビに呼ばれなくなっちゃうよ。
せっかくのチャンスを邪魔しちゃいけないんだよ。

さらに言えば、吃音のことをもっと知ってほしいということなんだろうけど、多くの人達は、そんなことに時間をつぶすほど暇じゃないよ。
世の中には数えきれないほどの障害や苦しみや悲しみや不自由なことはいくらでもあるし、そのひとつひとつを全て拾っていたら、何も表現できなくなってしまうよ。
その中で、吃音者を特別扱いしろって言うの?

誰でも皆、吃音のことを勉強する必要はないし、むしろ必要なのは、吃音があちこちでありふれた「普通のこと」になることなんじゃないの?

私を含めて、いつまでたっても恥ずかしくて、表に出て行けない吃音者が、この勇気ある(のかどうかは知らんけど)芸人の邪魔をしてはいけない。
そんなことを考えていたのでした。

おしまい