守るということ

もう30年くらい前に亡くなっていますが、普段は寡黙な祖父は、お酒が入ってかなり酔ってくると、必ず戦争の話をしていました。
ときどき涙目になって話します。
祖父は戦争に行ってないのです。
そのことが最後までずっと心に重く残っていたのかと思います。

祖父は徴兵検査で引っかかって、徴兵を免れました。
お酒が入ると、くどいくらいそのことを繰り返し繰り返し話していました。
祖父の死後、母から聞いた話ですが、祖父には弟がいて、戦争で亡くなったそうです。
自分だけ生き延びてしまったことを、いつまでもずっと引きずっていたのではないかと思いました。

私の名前は祖父がつけました。これも母から聞いた話ですが、弟への思い丸出しです。長生きするようにということ、そして、戦争で亡くなったことで、戦争を連想するような文字が入っています。
なんだかとても重く感じました。
これじゃ、気軽に死ぬこともできないじゃないか!

矛盾しているかもしれませんが、死にたかったらいつ死んでもいいんだよというのは、私にとって生きる上でのお守りみたいなものした。
いつ死んでもいいのに、でも自分は生きている。これは自分で選んだ生だと、自分に言い聞かせてきたという思いがあります。
でも、私の名前の由来を聞いて、何がなんでも生きなければならないなと思った時、ググっと生きるのが重く感じでしまいました。
それでも死ぬまで生きるけど。

今、「ニューロダイバーシティーの教科書」(村中直人著)という本を読んでいるのだけれども、ちょっと興味深い記述がありました。ちなみにニューロダイバーシティというのは、脳や脳神経の多様性という意味です。
(この本は、決して、戦争に言及している本ではありません)

www.kanekoshobo.co.jp

この本によれば、人の視界ってかなり盲点があって、本当ならところどころに欠けている部分があるはず。でもそれは脳が補正して、あたかも視界の中の全てが見えているように感じているのですって。

つまり、今見えているものは、脳が作り出している可能性がある。
コンピューターって脳の仕組みを参考にしている部分がかなりあって、つまり、コンピューターでやってることって、脳でも当たり前にやるんだよね。
それは、コンピューターで画像の補正ができるように、脳も補正しているということ。
極論すれば、人は見たいものだけを見ている、見たくないものは見ないとも言えるし、天然のフェイクニュースを自分の都合の良いように作り出しているとも言えるのではないかと思いました。

本来あるはずのないものが見えるというのは、例えば幽霊とかお化けとか、そういったものも、もしかしたらこれで説明できるのかな。
そして、統合失調症などに見られる幻覚や妄想も。

実際に起きてもいないことを、自分に都合よく、しかも自分には無自覚で、起きているように見えてしまうとしたら、これは本当に怖いことだなと思います。
ときどき思うですよ。
プー○ンもこの状態ではないかって。

もともと、どちらかといえば危ない人だなとは思っていたけれども、ここまでキ○ガイだとは思わなかった。プー○ンだけではないね、彼を取り巻く連中のキ○ガイ度といったら...。
ロ○アだけではないね、北○鮮のキムなんちゃらも似たようなものだし。

もうずいぶんと前(15年くらい前)になるけれども、電車内でレイプ事件が起きました。
その犯人は、若い頃の交通事故により、脳に障害を負ってしまい、それが原因で衝動が抑えられなくなっていたのではないかという話が、当時出ていました。
この話が私にとっては、とても衝撃的でした。
この犯人の場合は、外傷性の脳の損傷だったけれども、脳が壊れるという意味では統合失調症認知症でも同じだと思っています。また、病気だと診断されないレベルでも、ストレスによって脳が壊れているということはあり得るし、まさに私の妹は、ストレスで脳が壊れてしまったわけだし(統合失調症と診断されています)。

私の妹の脳が故障したところで、困るのはせいぜい本人と家族、あとは近隣の住民くらいでしょうか。でも、権力を持った人の脳が壊れたら、そう考えると、それだけでとても恐ろしいです。
それが戦争、そして人殺しにつながってしまう。

権力を持つということには表裏一体で責任というものがついてきます。
国のトップならなおさらです。ものすごいストレスとプレッシャーです。
ときどき思うのは、長期政権では必ずと言っていいほど、権力の腐敗が起こります。
これは実は、長い間ストレスにさらされていることによって、脳が壊れてきてしまったということなのではないか。
もう死んでしまった人のことをこんなところでとやかく言うのもナンですが、安倍さんのいろいろなスキャンダルも、こういった性質のものなのかななんて思ってみたりもします。
だって、本人は全く罪悪感を感じていないでしょう?
長い間のストレスのせいで、脳に何かしらの変化が起きて、普通の人なら罪悪感を持ちそうなことでも、それがなぜいけないのかもわからなくなってくる。
度重なる追及にもごまかしているように見えて、ごまかしているのではなくて、彼にとっての真実を話していただけのような気がします。

ちなみに私は、個人的には、総理大臣というのは相当ストレスのかかるポジションですし、ちゃんとするべきことをやっていれば、枝葉末節なことについてはある程度大らかに見てあげても良いのかなと思っています。
また、国葬についても多くの反対意見が出ていますが、私はむしろ、総理大臣経験者は、裁判で有罪が確定した人でもなければ、すべて国葬にしても良いと思っています。
あまり大袈裟な儀式にしなくても、国民として、いままでご苦労様でしたという気持ちを皆で共有するのって、とても大切なことだと思うのですけどね。

何だか話がずれてきてしまっているので、元に戻します。

世界中には、こういった権力を長期に渡って持ったことによるストレスにより、頭がおかしくなっている為政者がたくさんいると思っています。
プー○ンやキ○などはその象徴的な存在。
キ○はまだ若いけど、幼少のころからストレスまみれで育てられたのではないかと思っています。
アメリカの大統領の任期は4年×2期。これ、素晴らしい決まりだと思います。この程度が限界なのではないのかな。

外交というものは、こういった頭のおかしくなっている人を相手にやらなくてはいけない。とても難しいことです。
今、ウクライナでは実際に戦争になってしまいましたし、台湾辺りで起きていることはもちろん、北○鮮についても、日本にもろに影響しています。

こういったキ○ガイから自分の大切な人を守ることを考えると...。

自分の基本的な立場としては、核兵器は反対です。
今の技術をもってすれば、原発だって反対です。
今現在、核の力を人間は完全にコントロールできないし、万が一のことが起きたとき、壊滅的な被害になる。
安全に事が進んだとしても、核廃棄物処理について、筋道が完全にできているわけでもない。問題を先送りにしているだけ。
青森の六ヶ所村だって、将来、沖縄の米軍基地問題のように、地元住人によって大騒ぎになるかもしれない。その可能性は高いと思っています。
福島の原発の事故の時、地元の人が「私たちは東京の人達の犠牲になった」というような発言があったのが、とてもショックでした。沖縄でもそうだし、そのうち青森でも私たちばかり犠牲になっているというような話になるのではないのかな。
そういった話は、できることなら出ないで済ませたいです。

でも、今、そんなこと言ってられません。
相手はキ○ガイです。実際に核兵器のスイッチを握っている者の中には、キチガイが何人もいます。

もちろん核兵器撲滅の努力はしなければなりません。
対話による解決は最重要です。あらゆる角度から、その方向に向かって努力をするべきだと思います。
しかし、何度も書きますが、相手はキ○ガイです。
核兵器撲滅の努力は、まずはこのキ○ガイから取り上げることから始めなければなりません。これは遠い遠い、ものすごく遠い道のりです。

また、もしかしたら、このキ○ガイに対して、核兵器は抑止力として限界があるのかも知れません。特に失うものが何もないところまで追いつめられてしまったら、こいつらはためらうことなくスイッチを押す可能性があります。

でも、このキ○ガイの横暴への抑止力として、今のところ核兵器に勝るものは無いというのが現状なのではないでしょうか。
何か対抗できるものがあるなら、教えてほしい。私には思い浮かびません。

核兵器の話ではありませんが、いつだったか、某評論家の人が、侵略に対しては竹やりで対抗すればよいなどと、たわけたことを言っているのをテレビで観たことがあります。くだらない、問題外です。ふざけているとしか言いようがありません。こう言い方をしてはいけませんが、そのような事態になった時には、さっさと死んでもらいたい。そんなことを言って、本気で守ろうとしている人の邪魔をしないでもらいたい。

さらに、こういった言い方はまずいかもしれませんが、あえて書きます。
もしも核兵器により攻撃されて、大切な人を全て失うようなことがあれば、私がこの世に生きている意味などありません。そして、この地球に未練などなくなるでしょう。
そしてこの地球が人が住めない環境になろうと、私には知ったことではない。
核によってなくなってしまえば良いのです。

でも、そうではないですよね。
そうなる前に食い止める。
戦争をしない、核兵器を使わせない、使わない。
すべてはそこに焦点を合わせることに集中しなくてはならないはず。

万能ではないとしても、限界があるとしても、対話が通用しないキ○ガイの持っている核に対抗するのに、抑止力として、今一番有効なのは核ということになるのだと思います。

現実問題として、日本がこれから核兵器を自ら持つというのは、無理があるのでしょう。そんなことをしたら、国際的に孤立してしまうのは間違いないことです。エネルギーをはじめ、あらゆるものの輸入が途絶えたら、日本はそれでお終いです。
でももしも、原発の施設で、実は秘密で核兵器の開発をやっているとかだとしたら、私は大絶賛します。私は原発反対の立場にいますが、そんなことをやっているのだとしたら、原発が存在する価値を認めます。

そういう意味で、私はある程度、政府には秘密は必要だと思っていますが、それを許さない人はたくさんいますし、自国での核兵器開発など、実際にはあり得ないことなのでしょう。

そうなってくると、政府による核兵器へのあいまいな態度、私はこれで良いと思っています。
正論を言えば反対の立場をとるべきなのでしょう。
しかし、現実には、アメリカの核の傘下に入ること以外に選択肢は無いですよね。
中共小日本とばかにされようと、そんなのは放っておけばよい。
本当にばかげていますよ。日本を養分にして軍拡したのに、それはないでしょ。

一方で、世界に向けては、日本人はこれだけ核兵器に反対しているという態度を示すという意味で、核兵器反対派の活動はちゃんと続けていってほしいとも思っていますよ。
これに対して苦言を呈する必要は全くありません。すべては海外に向けてのアピールです。どんなに反対しても、キ○ガイがいる限り、核はなくならないのですから。

ダブルスタンダードのようですが、言い方を変えればリスクヘッジです。
どちらか一方に固執する必要はないのです。
日本らしくていいなと思っています(笑)。

でもね、何が一番問題かというと、特に核兵器についてはタブー視されて、議論にも上げられないということです。何事も思考停止はいけません。一方的な決めつけはいけません。
戦争をしないこと、核兵器を使わせないこと、そのために何ができるのか、何が必要なのか、一切のタブーを振り払って議論することはできないのでしょうか。
核兵器を所持することも、この「戦争をしない、核兵器を使わせない」ことのためのことなのです。核兵器を肯定している人は、キ○ガイでもなければ、決して戦争を肯定しているわけではないということを、反対派の人にはわかってほしいものです。

プー○チンにしろ、その他のキ○ガイ為政者にしろ、たぶん本人は、真剣に国を守っているつもりなんだろうな。
でも、ときどき、彼らのように、「守る」ということを勘違いしている人がいる。

守るためには、すべてを支配して、自分の思うようにならないと気が済まない。
力がないのに、あるように人をだます。
守っているという優越感から、守ってあげている人には何をしてもかまわない、自分の思い通りに動いて当然。
こんな風に考えているのです。

これって、私の兄のことなんですけど(笑)、ちなみに兄は、祖父から家族を守りなさいという思いを込めて名前をつけられています。本人もすっかりその気になっています。全く迷惑です。

守るということがどういうことなのか、ものすごく考えさせられたのが映画「ライフ・イズ・ビューティフル」でした。
もうずいぶんと昔の映画ですね。


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強制収容所の悲惨さはこんなものではないとか、そういった批判もちらほらあったようですが、自分の息子の、心も将来も、全て体を張って守ったお父さんの物語。
単純ですが、こんなお父さんになりたいと、真剣に思いましたよ。
とは言え、この映画の主人公グイドのような、イタリア式ヤサオトコには到底なれませんが(笑)。

まあ、今となっては叶わぬ夢ですが、それでも他人様の子供でも、本気で守りたいと思っていますよ。


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人間なんて、兵器の前では無力だし、戦争の犠牲者の死について、後から意味付けしても虚しい。

意味付けするということは、まかり間違えば、戦争というものを肯定してしまう危険性もはらんでいます。

個々人に目を向ければ、死んだらそれでおしまい。死んだ本人には何も残らない。
そして、残されたものに残るのは、ただ悲しみだけ。