読書の記録 2022/34週 8/15(月)~21(日)

YouTubeのCMって嫌ですね。
賑やかなのが嫌で、静かに聴ける音楽をかけていても、CMとなると賑やか、通り越して雑音。あまりにもうるさいので、CDを聴くことにしました。
そんなの有料のサービスに切り替えれば済むけど、妙な不安感がつきまとう。

このところ、フィッシング詐欺と思われるメールがビシバシ来るようになりました。
今までほとんどなかったのです。
ニュース等でその話を聞く度に、自分とは別の世界のことだとばかり思っていました。

まずは、アメリカンエキスプレス。
そんなカード持ってないよって。
でも、もしも持っていたら、引っかかっていたのかもしれないですね。
そしてAmazon
Amazonはもう2年くらい使ってないかも。

どちらも何のことやらさっぱり思い当たることがないので、何かあったのかと身のまわりを調べたりするわけですけど。そういうことがある度に気持ちが持って行かれて、疲れちゃう。
結局、フィッシング詐欺のメールだって気が付くのですが、気持ちはへとへとになって、もう何もできなくなってしまうんです。ほんと疲れる。

このところ、本でさえなかなか読めなくなっているのは、こういったことが原因なのかな?
ブログも、書くのが辛いです。だったら書かなければ良いのに(笑)。

さて、今週は1冊だけ読みました。
こちらです。

www.kanekoshobo.co.jp

ニューロダイバーシティーというのは、脳や脳神経の多様性という意味です。

主に、自閉症スペクトラムについて書いています。

障害を、障害というよりも少数派と捉える。
社会は多数派に合わせて設計されているから、少数派が生きずらくなるだけのこと。
障害者支援というより、異文化交流。

例えば、聴覚に障害がある場合、手話でコミュニケーションをとるわけですが、これを文化とみなすわけです。
面白いなと思ったのは、手話って敬語がないので、とてもフランクな関係を作りやすいのですって。
だから、聴覚に障害があっても、ギリギリ何とか聞こえる人の中には、話し言葉ではなくて、手話を「母語」として使っている人もいる。
その方が、「文化」として馴染めるから。

また、自閉症の人って、人を特別視しない傾向がある。
赤ちゃんの頃に、視界に人の顔が入ると、それに反応するのが多数派。視線を合わせて微笑んだり反応があるものですが、自閉症の傾向があると、人もその周辺のものごとも対等。何を考えているのかわからずに、多数派の人たちはイライラするのですが、当事者にとって見ればありふれた普通のこと。

これだって、ただの少数派の文化だと捉えることもできる。

外国に行けば、いや外国じゃなくて国内でも自分が住んでいる地域から外に出ると、自分が常識だと思っていたことが全く通用しないなんて言うことはよくあることで、それはどちらが優れているとかいう話ではなくて、ただ文化が違うというだけのこと。
障害と言われているものについても、そういった考え方ができるのではないか。
多数派に合わせて社会が設計されているだけで、障害は単に少数派というだけのことなのではないかということ。

面白い発想だなと思いました。
みんな違ってみんな○○○○...。ということか。(なぜ、〇が4つ?)

もしも、自分以外の全ての人に翼が生えてきて、自分一人だけ翼を持っていないとしたら...。という話が書いてありました。

それまで普通に何不自由なく生活できていたのが、その瞬間から、障害者になり、生きずらくなると言うのです。
なぜなら、多数派が飛べるのが当たり前になれば、ビルの階段やエレベーター、エスカレーターは不要なものになり、社会から姿を消すでしょう。
そうなったら、翼を持たない自分は障害者。不便で仕方ない。
障害を持つというのは、そういう事なのではないかというのです。

でも私は、それは間違っていると思います。
階段は減るかも知れませんが、エスカレーターやエレベーターはなくならないと思います。

鳥を見れば明らかでしょう。
鳥っていつでも飛んで移動しているわけではない。
「カラスの教科書」だったっけ?確かこの本だったと思うのですが、飛ぶのってすごく体力を使って、とても疲れるのだそうです。
飛ばなくなっちゃった鳥もいますよね。ペンギンとかアヒルとか。

以前にも、猫と喧嘩して、逃げていくカラスが、翼で飛ぶのではなく、脚でピョンピョン跳ねていたのを見たことがあります。
カラスからしてみれば、飛んで逃げるほどのことでもなかったのでしょう。歩く方が楽。

人に翼が生えても、必ずしも飛ぶという選択をするとは.限らないということです。
やはりこれも文化なのかな。

みゆきさんが歌っている動画がないので、おときさんの「この空を飛べたら」


www.youtube.com

空を飛びたいと思うことも、飛ばないということも、どちらも悲しいものではないのだけども。