久しぶりの献血は、針を刺す瞬間を凝視していました。
気持ちイー!
傷口を見せるわけにはいきませんので、絆創膏の写真でも貼っておきます。
左腕の方で検査のための採血をしたのですが、うまいこと痛点を外したようで、全く痛みが感じられませんでした。なんか異物が肌を貫通しているという感覚だけです。
これだと物足りないのです。針も細いし。
右腕の方は、本採血。
本採血の針は太い。うぁ、痛い。
この痛みが気持ち良いのです。これが無いと献血をやったという実感がわかない。
そして、管を通って、血が流れていく。
この瞬間を、ずーっと見ていました。
ちょっと不謹慎なことを考えてしまいました。
それはリストカット。
自分で手首を切ること。なんだかその疑似体験をしているような気分。
死にたいと思って手首を切る。思いとどまるけど、その後は、リストカットすることが生きている実感になってくる。
だんだんとリストカットに依存していく。
何だか、自分、ヤバイ状態になってるのかな?
自分で自分に傷をつけるのは怖いけど、こうやって医療従事者の管理の下での疑似自傷行為なら、安全にこの気持ち良さを感じることができます。
ずっと、自分は献血に依存してしまっているなと感じていたのですが、もしかしたら、安全の下でのリストカットのような自傷行為を疑似体験していたのかもしれない、そんなことを考えていました。
逆に考えると、辛い気持ちで自分を傷つけている人たち、そこから抜け出すための第一歩として、献血をするというのもありなのかなと考えてみたり。
献血をすると、これを他の誰かの健康のために役立てる、それは血液を提供する自分の健康あってのこと。
次第に自分の健康に気を配るようになってきます。
死にたいと思っている時って、いろいろなことに投げやりになるし、自分の健康になんて無関心ですよね。
健康でありたいと思っていると、すごく前向きな気持ちになってきます。死にたいという気持ちが薄れてくるかも。ちょっと楽観過ぎるかな。
まぁ、とりあえず私は、献血により誰かを救っているというより、私の方が救われているという感覚の方が強いし、針を刺す時の痛みが気持ち良いし、管を血が流れていることで生きているという実感できるのでした。
あまりにも楽観過ぎるのかも知れませんが、辛くて辛くて、ついついリストカットに走ってしまう人、一度献血を試してみてはいかがでしょうか。そんな風に考えるのでした。
◆
今回、都庁の献血ルームに行くにあたり、こんなコメントをいただきました。
今年も幸水を食べそびれてしまった - 通りすがりのものですが
とんかつ屋さん、平日に行って下さいね。今月は祝日が多いので注意、注意!(笑)
2022/09/17 14:32
ありがとうございます。心配して下さって嬉しいです。
でも大丈夫。
なぜなら、都庁の献血ルームは、祝日はやってないのです。
とんかつ屋さんも献血ルームも、開庁の日だけの営業ですね。
今回はヒレカツをいただきたいと思っていたら、なんと、上ひれかつ定食がサービスランチになっていました。
この件については、またあらためて、献血のご褒美として書きたいと思います。
美味しゅうございました。ごちそうさまでした。