とある八百屋さんの話

先日母から、あの八百屋さんのだんなさんが亡くなった、と聞きました。
最後に会ったのはたぶん1年前くらいかな。あの時はあんなに元気だったのに、仕事中に車の中で気を失って、そのままだったようです。

もともとは、私が働いてたスーパーがあった商店街でやっていたんです。
ちょっと親族内でトラブルがあったみたいで、別の商店街に引っ越していきました。
ま、元々の場所は、すでに商店街とは名ばかりで、どこのお店も後継者がいなくて、普通の住宅に建て替えたり改築したり、アパートに建て替えられたりで、お店も数えるほどしかなくなっていたので、引っ越して正解だったのかもしれません。引っ越し先の方は、まだ商店街としての機能は生きていましたから。

同じ商店街だった頃は、その八百屋さんのだんなさんと顔を合わす度に、「お前のところのお陰で、うちは商売あがったりだよ、へへへ」と必ず嫌みを言われたものでした。私は心の中では「うるせぇなぁ、このじじい」なんて思いながらも、表面上は「そんなことないですよぉ、八百〇さんだってスゴイじゃないですか」みたいなことを言っていたなぁ。

その八百屋さんの隣には魚屋さんがあったのですが、八百屋さんのとびっきり元気印の奥さんは、私が働いていたお店に魚をよく買いに来てくれていました。
こっちが訊いたわけでもないのに、ひそひそ声で「魚〇さんさぁ、買いたいもの何にもないのよねぇ、ここに来ればさぁ、何かあるからついついこっちに来ちゃうんだよねぇ」って、そんなに食べるの?っていうくらい、買ってくれていました。もともと海の近くの出身の人で、お魚大好き。特に、カツオが好きだったみたい。
引っ越してからも、ときどき、自転車に乗って買い物に来てくれていたんです。

私がスーパーをやめてからも、その八百屋さんがどこに引っ越したかも知らずにいたのですが、たまたま散歩している時に「あれ、○○君!こんなところにどうしたの!」ってだんなさんに声を掛けられました。
たまたま通りかかったところにお店があったというわけです。
それ以来、ときどきそのお店に買い物に行くようになりました。

私が行くと、よくおまけしてくれましたよ。まぁ、端数カットは当たり前として、たくさん買った時は、こんなに値引きしちゃって大丈夫なの?というくらい。
ただし、奥さんがいる時は、びた一文値引きなし。あ、奥さん怖いんだな(笑)。
一方で、奥さんがレジをやっている時は、だんなさんがいてもいなくても、ちゃんと値引きしてくれました。こりゃ、奥さんの方がヒエラルキーが上だな。

その奥さん、3年前くらいにがんでお亡くなりになってしまって。
もう70近かったのではないかな。ずっと元気だったのが、急にお店に立つことが無くなって、それから間もなく訃報を聞きました。あの時は、本当にびっくりしました。
そして今回、だんなさんは、仕事中に倒れてそのままだったなんて。

コロナ禍での心労でもあったのかなとか、もしかしてワクチンの影響なの?とか、いろいろなことを考えますが、けっしてダメなお店ではなかったんですよ。
すぐそばに大規模なスーパーがありましたが、ほぼ影響なかったし。
コバンザメ商法なのかと思われてしまうかも知れませんが、そんなこともなく。
だって、そのお店を目当てに、ずいぶんと遠くから買い物に来ていた人がかなりいましたし。
もともとあったお店のお客さんはもちろんですが、それ以外にも。
コバンザメ商法というよりもむしろ、その八百屋さんに買い物に来たついでに、そのスーパーに寄るという人もいたと思います。なんというか、逆コバンザメ(笑)。
そうそう、奥さんが亡くなった時には、お通夜に行きましたが、私が働いていたスーパーのお客さんもたくさん来ていました。
あの小さなお店の奥さんのお通夜に、こんなにたくさんの人がやってくるのだなと、ビックリしたものです。

最近思うのですよね、大きなお店は近隣の住人がターゲットだけど、小さなお店になればなるほど、遠くからお客さんを引き寄せなくっちゃいけないって。
近所に大きなお店があって、それなりに安い値段をつけていれば、そりゃ多くの人はそっちの方へ行きますよ。小さなお店は同じことをやっていては、到底対抗できない。
販売力に大きな差があれば、仕入れ価格だって不利になるから、価格競争に勝てるはずもなく。
何か商品に付加価値をつけるとか、そのお店に行くこと自体が楽しみになるとか、そこでしか買えないものを用意するとか。
結局、隙間のニーズを満たすだけのようなことになってしまえば、近隣だけのお客さんでは、お店を維持できる売り上げを作るのも苦しいし。

今ならSNSや通販など、割と手軽に始められる方法はあるけど、そんなものがない時代から積み上げてきたその八百屋さん、今になってやっぱりスゴイなって、本当に思います。

品揃えには結構こだわっていて、自分がうまいと思うものしか売らないと言っていましたね。
例えば、物によっては自分がうまいと思わないものでも、飲食店への納めで注文があれば用意するけど、店頭にはその納めの残りのものしか並ばなかったり。
だからときどき、買いたいものが思うようにそろわないこともあったけど、買った野菜や果物はどれもこれもみなとてもおいしかった。

お盆に仏壇にお供えしようと思って、メロンを買いに行った時のことです。
「何に使うの?」って訊かれて、仏壇にお供えするのと、あとは親戚のところに持っていくことを話すと、あと1週間くらいで食べごろになるものを用意してくれました。
親戚用の分はこちらが特に何も言わなくても、普通にラッピングしてくれましたし、もしもすぐに食べるなら、今ちょうど食べごろのも冷やしてあるよって。
なんだか至れり尽くせり。
それでいて、値段はたぶん、スーパーよりも少し安いくらいでしたね。
こんな立派なメロン、そんな値段でいいの?っていうくらい。

そうそう、あとは松茸のことを書かないわけにはいきません。
いつだったか、店頭に松茸がてんこ盛りで1000円で売られていた時がありました。
もちろん国産です。納得のいかないものは売らない人なので、いちいち確認するまでもないけど。
何でこんなに安いの?って訊いたのです。だって、けっして貧弱なものではないんですよ。立派なものばかりです。普通に買ったら、1本で1000円くらいしてもおかしくないくらい。

もったいぶることなく、教えてくれました。
(ちょっと自慢気に)実は、当時テレビで日本一の天ぷら屋さんとして紹介されていたお店があって、その店主さんと友達なんですって。
だから、そこで使う松茸は、全てその八百屋さんが納めているの。
その天ぷら屋さんもやっぱりこだわりが強くて、気に入ったものしか買わない。その代わり値段に糸目をつけない。

市場で何箱も調達して、それを天ぷら屋さんに持っていって、その中から気に入ったものだけを抜いていくの。本当に良いものだけ。
そこでたくさん儲けが出るから、残りは安く売っちゃうのですって。
というか、安く売らないと捌ききれないほどの量だから、安く売るしかないんだけどね(笑)。

お陰さまで、その時はしばらく松茸三昧でした。
松茸ごはん、天ぷら、お吸い物...。
もうあんなに松茸を堪能できることは、これから先無いのだなと思うと、やっぱり寂しい。(あら、寂しいのポイントがずれてる...)

本当はこういう個性的な個人の小さなお店が増えたら楽しいなと思うけど、なかなか難しいのでしょう。
それでも私は残って欲しいと思うから、これはと思うお店には、せっせと通いたいなと思うのですよ。一人の力だけでは、何にもならないけど。

今回の記事は、ももはな (id:however-down) さんのブログに、商店街の個人店について書かれていたのを読んで、いろいろと思い出して書いたものです。

however-down.hatenablog.com

個人店について批判的に書いているけど、もちろんももはなさんも、そんな個人店ばかりではないという事は分かっているはず。
私だって、特に大メーカーの大量生産しているものについては、個人店で買う意味はないと思うし、実際に買わないし。

仕事柄、お店の人とはそれなりにつきあいはあったし、実際に買い物に行っても思うのだけれども、個人商店の人ってそれぞれ、意識の高さの違いが激しいです。
うまくいかないのを何でもかんでも、大規模小売店のせいにしたり政治のせいにしたり。でも一方で、自分なりに工夫して努力している人も少なからずいます。

個人的には、どこの街に行っても同じ外観のお店ばかりになるのは寂しいなと思うのです。やっぱり、個人店には頑張ってほしいな。

あと、大規模店に望むのは、さんざん商圏を荒らして個人店を潰したのだから、多少業績が悪化しても、簡単には撤退するなよ! 
撤退したら、お店がなくなってしまう。そこの住民が困るだけ。
これだけは、是非ともお願いしたいのであります。