小学生の頃に、さださんが「雨やどり」という歌を歌っているのを聴いて、ギターを弾きながら歌を歌うことに憧れてしまったワタクシ。
中学生になって、実際にギターを手に取った時には、長渕剛さんに傾倒していました。
当時の長渕さんは、コンサートはギター1本でやっていました。
ラジオで公開ライブなんて放送があると、それを録音して何度も何度も聴いて、耳コピで練習しました。絶対音感など持ち合わせていないので、なかなか大変な作業ではありました。ちょっと聴いては自分で弾いてみて確認するの繰り返し。
後は、中島みゆきさん。当時はオールナイトニッポンにどはまりしていました。
周りの同級生は、アイドルの話でもちきりです。単品アイドル全盛期の頃です。
私はアイドルと言われている人たちにはほぼ興味がなかったので、なかなか話に入っていけなかったものです。
ある時、同級生の一人が、
お前は、歌手は誰が好きなの?
と訊いてきたので、
と答えました。すると、彼が今度は
中島みゆきってかわいいの?
と訊いてきたので、
とびっきりかわいいよ❤
と答えておきました(笑)(笑)。
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この通り、私は長渕さんとみゆきさん、そして+αでさださんが大好きなわけですが、この人たちの歌ならなんでもかんでも好きというわけではないのです。さださんの歌は、特に嫌いな歌はないかな。
例えば、長渕さんなら、私は「乾杯」という歌が大嫌いです。
当時の長渕さんも、こんな歌を自分が歌っていても良いのか葛藤があったなんていう話をしていたような記憶があります。
初めて聴いた時は、少し裏切られたような気がしました。自分の気持ちに反して、こんな歌うたうの?そんなにヒット曲が欲しいの?って。
みゆきさんなら「時代」
みゆきさんの代表曲なのでしょうけど、私には、きれいそうな言葉を並べただけの歌、そういう印象です。みゆきさんの歌って、どこか優しく寄り添ってくれている感覚がありますが、この歌には、私にはそれが微塵も感じられない。
ポプコンで勝つための歌だったのかななんて、そんな気がしてなりません。
この言葉を使うのは好きではないですが、「乾杯」も「時代」も何となく偽善ぽい感じがして嫌だなと思ったのかも知れません。
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ところが、歌っていうやつは、誰が誰に向かって、いつどこで、どんな気持ちでどんなふうに歌ったかで、印象がガラって変わる。
東日本大震災の時、剛さんがこの「乾杯」を自衛隊の隊員の前で歌った時、私は不覚にも涙がポロポロこぼれてきてしまった。
時にはきれいな言葉を並べるというのも、すごい力を持つのだな。
剛さんは、もしかしたらこういう時のためにこの歌を作ったのか?
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こないだ何気にテレビをつけたら、日本に住んでいる外国人が自分の故郷にメイドインジャパンのものを持って帰るという番組をやっていました。
最近はこの手の番組には少しうんざりしてきていたので、テレビのスイッチを切ろうと思ったんですけどね。
そこにちょうどウクライナから日本に避難しに来ている女の子が出ていました。
ちょっと気になりますよね。
帰る先はウクライナではなくて、お母さんが避難しているポーランド。
お父さんとお兄さんは、ウクライナに留まっているということでした。
そのウクライナ人の女の子は、日本製のシャワートイレを持ち帰ったのですが、持ち帰ったのはそれだけではなかった。
お母さんや一緒に避難しているウクライナ人の人達に、日本で覚えた歌を歌ってあげたい。そして歌ったのが、みゆきさんの「時代」でした。
これがね、お世辞にもうまいとは言えないの。下手っぴなの。
もしかしたら歌詞の意味もよく分からないで歌っているのかもしれない。
でもね、今のその女の子やお母さんの境遇を鑑みたら、この歌そのものじゃないですか?
この下手っぴな歌声を聴いて、震えてしまった。
みゆきさんは自分が歌うよりも、もしかしたらこういった辛い毎日を過ごしている人たちが歌うためにこの歌を作ったのかもしれない。
偽善ぽく感じてしまった自分が恥ずかしいと思いました。
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歌ってさ、普段言葉にできないようなことを言えちゃうんだよね。
ずいぶんと前の話だけど、みゆきさんも言ってたよ、私は話すのが苦手だから、こうして歌にして歌うんだよって。
あのオール―ナイトニッポンのマシンガントークを聞いて育った私としては、みゆきさんが話すのが苦手と言うのはどうしても受け入れられないのだけれども…(笑)。
つまりは、歌の力をものすごく感じている今日この頃なのでした。