いつの間にか慶応を応援している自分が嫌だ

高校野球も後は決勝を残すのみとなりました。

今年は髪の毛の話題がたくさん出てきますね。

個人的には、自由で良いと思っています。
好きか嫌いかを言えば、高校生の短髪は嫌ではないです。
でも高校生にもなって、そんなこと強制するようなことでもないし、指導者を含めて大人に気に入られるために余計なエネルギーを使うなら、その分を競技に注いだ方がよっぽど増しだと思うのです。指導者は選手を自分の思いのままに操ることを考える前に、選手達が競技に集中できる環境を作ってあげることが一番大切です。なんたって、主役は子どもたちなんだから。

もちろん誰からも強制されること無く、自らの自由意思で丸坊主にするのも当然ありです。それはそれで、とてもかわいいものです。

この話題でよく取り上げられるのが今回決勝まで進んだ慶応高校。慶応はずーっと昔から髪型は自由だったのだとか。

でも、選手達が帽子を脱いだ状態での集合写真を見て、

えーっ、全然自由じゃないじゃん!

って一瞬思ってしまった(笑)。

何となく、み~んな同じ髪型なの。同調圧力があるのか、誰かに忖度しているのか、などなどいろいろ考えてしまうのですが、あの17、18歳の時点で、彼らはすでに慶應ボーイなんだなぁ、きっと(笑)。

(慶應ボーイって言葉、まだあるの?)

自由だというのなら、中には丸坊主がいても良いと思うし、スキンヘッドにツーブロック、ロン毛、ポニーテール、三つ編み、ウニ、モヒカン、逆モヒカン...

私がたまたま見た写真は、全員が七三に分けていました。たぶん、普段はもっと自由にしているのだろうけど、彼らは彼らなりに慶応のブランドを背負っているな、そんな風に感じてしまいました。

私は大学スポーツでは、圧倒的に早稲田ファンでしたから、その対抗としての慶応というだけで拒絶反応が起きていました。

大学受験も、慶応は初めから受けるつもりはありませんでした。まず、自分のキャラとはかけ離れているということ。自分が志望していた学科がなかったというのもあり、受かっても進学するつもりはなかったのです。そりゃ受けなくても当たり前だと思うんですが、どういうわけか慶応に進んだ先輩には、私が受けなかったことをずいぶんと咎められました。お前は俺のことをバカにしているのか?と言わんばかりに。

そんなこんなで、自分とは違う世界のもの。近くにいて欲しくない存在でした。

今回の件で、慶応高校の野球部の話をいろいろ耳にすると、とても良いなと思うことばかり。

簡単に言えば、部員の自主性に任せられていることが多い。そして、指導者、選手の垣根を超えて、思うことを自由に言えるのだそうです。それが当たり前だから、言ったことで気まずくなることもない。

人が成長するということは、自分で考えて、自分で決めて、行動して、その結果に責任を持つ、その繰り返しだと思うのです。でも、私が経験してきた部活も含めて、多くの部活は、最初の自分で考えて決めるという行程が、指導者のものになっている。結果の責任は、結局は指導者の責任とはならずに、指導者の示す通りにできなかった部員の責任になってしまうんです。私自身、中学の柔道部はわりと自由にやらせてもらったけど、高校のバレー部は指導者の言うことが絶対で、疑問に思っても何も言えない雰囲気がありました。中には言ってしまったのもいましたが、彼は干されましたね。今から思うと、そんなのさっさと見切りをつけてやめてしまえば良かったと思いますが、当時は理不尽に耐えることが美徳みたいな雰囲気があったな。

でも、慶応の野球部は昔から主役が指導者ではなくて子供達でした。

例えば、怪我をしてもうプレーを続けることができなくなった選手が、チームを分析してレポートを書いたそうです。その中で、選手の適正から打順を提案したのだそうです。そしてそれが採用。試合には出れない部員でさえも主役になれる。

指導者は子供達が安全に安心して野球に集中できる環境を作るだけなんですよね。

自分が経験してきた部活とは全く違って.本当に目から鱗の話ばかりでした。
というより、私が思い描いている部活の理想にとても近い。

本当は認めたくないけど(笑)、こういうチームが勝って、日本のさまざまな部活がこういう風になったら良いのにと思います。

一方の仙台育英の方も、かなり自由な雰囲気があるみたいですね。

自由意志だからと言ってテキトーにやって来たなんて言うことはなく、ここまで上がってきた両チームは共にとてつもない練習・トレーニングを積んできているはずです。
両チームの想いの詰まった、良い試合を期待しています。

 

リアルタイムで見れないのが残念。
この暑さの中、試合時間を夜にしてしまえば良いのにねぇ。