本当はもっと元気でいてもらって、たくさん罵声を浴びさせたかった(*`Д´)ノ!!!

こんなブコメをいただきました

週間歩記録 2024/26週 6/24(月)~30(日) 59,293歩 - 通りすがりのものですが

お父さんの思い出壮絶そうなのになんて優しい人なんだとお墓参り記事の度に思います🍀

2024/07/02 11:49

まぁ、私は決して優しい人なんかではないですよ

ただ、衰えていく父を見て、反発したり攻撃したりする相手ではなくなっていきましたね

本当は、もっともっと元気でいてもらって、ふざけんなこのヤロー、と罵声を浴びせたかった…(笑)

父は家の中では本当に神経質な人でした

仕事は朝早くて、夜は付き合いでほぼ毎日午前様だったので、毎日昼寝をしていたんですね

寝室で寝れば良いものを、玄関のすぐそばにある居間で寝ていたのですよ

小学校の低学年の頃は、家に帰るといつも父が昼寝していました

少しでも物音を立てると、ライオンが吠えるような声でに怒鳴られました

子供心に、それが怖くて怖くて…

それ以外でも、鉄拳制裁は当たり前

私はすぐに泣いちゃうんで(泣きたくなくても泣いてしまうんです)、そうなるとエスカレートして、首根っこ捕まれて、押し入れに閉じ込められたりしました

私は私で、なぜ怒られているのかさっぱりわからないので、謝らないのですよ

(その点、兄は素直だったな…)

そんなわけで、幼少期の私にとっては、父はとても怖い人、近寄り難かった

でもね~、外に出れば父はいつでも優しいおじちゃん

従兄弟やお客さんの子供、近所の子供、ベタベタに可愛がっていました

お通夜の時なんか、子供の頃に可愛がってもらったって、親戚でも取引先でもない、町会や商店街の関係者でもない人が、お焼香にけっこう来てましたよ

その愛情をほんの少しでも私にも注いで欲しかった、という気持ちはあります…

子供の頃に、何か欲しいものがあれば、まずは母に相談するんですよ

でも、母の回答は大抵、

「昔は食べものもなくて、大変だったのよ

今はちゃんとごはんを食べられるじゃないの

あなたは幸せなのよ~」

って言って、ごまかされちゃう

あまりしつこくねだると、お父さんに相談してみなさい、って言われちゃう

中学に入ったばかりの頃かな?どうしてもギターが欲しくて、父にお願いしたのですよ

そうしたら、友達は皆持ってるのかと訊かれました

自分の知っている限り、同級生で持っているのは一人だけでした

結局、却下

その頃は、お小遣いはもらっていなくて、その代わりお店を手伝うと、時給100円だったかな?それでお金を貯めて、自分で買ったのでした

ヤマハの当時の一番安いモデルのを中古で買って、16000円だったかな?

それはそれで、自分では納得していたのですけど…

それから程なくして、兄がギターを買ってもらってるんですよ、ビックリ

兄も時給100円でお手伝いしていたけど、この人はお金があるとすぐに遣っちゃう

貯めることを知らない人なので、高価なものを自分のお金で買うことはできない

どういうわけか、弟が持っているのに、お兄ちゃんが持っていないのはかわいそうだって

どういう理屈なんだろ?

しかも私のギターよりもずっと上級のモデルですよ

ヤマハの5万円のモデル、しかも新品、キラキラ輝いているし…

呆れて言葉が出なかった…

何度か弾いたことがあるけど、音が、音が、音が…私のと全然違う…

そのギター、兄はほぼ弾くことがなくて、最終的には従兄弟のところに行っちゃいました…

私はそれ以来、親にものをねだることはなくなってしまったのでした

欲しいものがあれば、自分で貯めて買うのが当たり前

高校生の時、兄は文化祭でサザンオールスターズコピーバンドをやるっていうんで、どういうわけか兄は一度も演奏したことのないサックスの担当になったのですよ

え?サックスってそんなに簡単にできるの?

たぶん、演奏といえるものではなくて、ポイントポイントで、ブーブー音を出していた程度だったのかと思うのですが、そのサックスまで親に買ってもらっていました

文化祭が終わると、もう使わないからと、友達にあげちゃってる兄なのでした…

呆れて言葉が出なかった…

そう言えば、兄は車も買ってもらっていたな

兄に、お前も買ってもらっちゃえよって言われたのですが、それをそばで聞いていた父の顔がとても険しくなっていたのに気がつきました

大丈夫、私ははじめから買ってもらおうなんて気持ちはサラサラないので

こんなことを書くと、父が私には厳しいばかりで、兄にはずいぶんと甘いという風に思われちゃいそうですが、ボコボコにされたのは、私よりも兄の方が酷かったかも

兄が中学3年の時、兄が父に塾に通いたいって言ったのですよ

そしたら父が、それは店を手伝わないということかと激怒してしまって、あの時の激怒っぷりは凄まじかった

サンドバック状態

結局、塾通いは許可が出たのですが、ある日、兄が塾のお休みの日に家でゆっくりしていたのを父が見てしまって、そうしたらまたまた激怒

お前は勉強したいからと言ってお店の手伝いをしないのに、なぜそんなにゆっくりしているのだ?と…

そんなの見ちゃうとさぁ、私としてはお手伝いしたくないなんて言えなくなっちゃうよね~(笑)

兄は高校で野球部に入っちゃって、帰りは毎日遅くなり、結局、その分も私が働くことになってしまった…

私は高校は定時制があったので、部活は5時までだったのですよ

とりあえず学校は最優先でしたけど、それ以外はお店が優先

受験だからと言って休ませてはもらえなかったし、私は塾や予備校には一切行かなかった

塾に通いたいと思ったことはないけど、受験の直前くらいはお手伝いはお休みさせて欲しかったな

でも、兄がボコボコにされてるのを見てしまったら、とても言えないですよね…(笑)

子供の頃からずっと、早く大人になりたい、大人になって家を出たい、って思ってました

で、いざそういう年齢になって、家を出ようとすると、母に泣かれちゃうんですよね

たぶん、私がいなくなると、母は自分が父にやられちゃう対象になってしまう、そんな風に考えたのかも

ただでさえ、母は父や兄だけでなく、父の妹、弟にもそうとうやられてましたから

母の味方になっていたのは、ほぼ私だけでしたし

父に対して、ずっとわだかまりがあったわけですが、父が衰えてきてから、少しずつ様子が変わってきました

父が脊柱管狭窄症を患って、手術をしたのですが、なかなかうまくはいかないようで、手すり無しでは歩けなくなってしまいました

トイレは自力で行っていたので助かりましたが、お酒を飲んでしまったりすると、手すりにつかまっても歩けなくなってしまったのです

動けなくなると、その度に、仕事中でもなんでも呼び出されました

兄は別のところに住んでいたし、父を持ち上げられるのは私だけだったので、まあ仕方ない

その頃からかな?何となく父の家での雰囲気が変わってきました

母に優しくなったし、それに伴って、母と父の妹、弟達の関係もとても良くなりましたね

ある時、父がまた動けなくなって、父を持ち上げて介護用のベッドまで運んだ時、父が私に向かってボソッと言ったのですよ

お前には何もしてやれなかったな…

その時は今さら何を言ってんだか、って思った

別に今さら何かして欲しいなんて思わないし

今から思うと、まだまだ元気でいて欲しかったよ

私が父に

ふざけんなこのヤロー

って罵声を浴びせられる時まで、元気でいて欲しかった…

フフフ…

 

まぁ。そんなわけで、毎月毎月、せっせとお墓参りに通ってます

歩いて片道30分くらいなので、ちょっとした隙間時間でも行けちゃいます

なんと言うか、お墓って、ある意味我が家の別荘みたいなものだから、時々行ってきれいにしておかなくっちゃ、それくらいの軽い気持ちです

Amazonの商品ページは、これをおすすめしていると言うわけでもなく、ましてや売り付けようなんて気持ちはサラサラ無くて、ただ面白そうだからというだけのことです。