読書の記録 2022/10週 2/28(月)~3/6(日)

なかなか終わりそうもないロシアのウクライナ侵攻。
気になって落ち着かず、本を読むのも難しいです。

ロシアがスポーツの世界から排除されたことを受けて、未だにスポーツと政治は切り離すべきと訴えている人がいますが、スポーツと平和を切り離してはいけません。経済制裁にしろスポーツのことにしろ、こういったことで訴えていくしかないのでしょう。
ロシアの排除を差別であり、してはいけないというのなら、全てのスポーツイベントを中止するもやむなし。というか、今行われているスポーツイベントが、なんだかとても虚しく感じます。

EUにしろ、アメリカにしろ、直接参戦してしまえば、それは大変なことになる。世界中を巻き込んで、とても大きな戦争になる。核が使われてしまえば、それは世界の破滅です。プーチンはそれをわかっていて、やりたい放題です。

日本も明日は我が身という気持ちで、今の状況を逐次チェックしていますが、気になる理由はそれだけではありません。
今までウクライナの人で名前を知っていたのは、サッカーのシェフチェンコと日本で活動している歌手でバンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーさんくらいのものですが、なんとなくウクライナというと親日国のイメージが強いのです。


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そして、ロシアの気持ち悪さ。
ロシアというよりもプーチンがとても気持ち悪い。
サイコパス?というよりも、前にもちょっと書きましたが、私には妄想や幻覚など、精神症状が出ているように思えてしまうのです。一部の専門家の先生にも、同じように捉えている人がいるようですね。交流があった人の中には、以前とは全く別人のようだと感じる人もいるようです。
こうなってくると、本当に性質が悪い。まともな判断力などないわけですから。
少しでも被害が少ないところで、終息?収束?して欲しいものです。

今週読んだ「〈叱る依存〉がとまらない」という本が、なんとなくプーチンのことと重なっているように思えて、とても興味深かったです。

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本の記録 借りてきた本・買ってきた本

前週までに図書館で借りていた本

真夜中の図書館 谷山浩子著 (読了)

主に谷山さんが今まで読んだ本について、谷山さんなりの視点で思い入れを語っています。児童書や絵本、大人が読むような小説、漫画などなど、本以外にも、アニメや谷山さんが大好きなゲームも。
ぐだぐだと読み始めてみたもののなかなか進まなかったのですが、いきなり加速度がついてガーッと一気に読んでしまいました。面白かった。

もう40年くらい前になりますが、中学生のころ、私にとってこの人は不思議ちゃんでした。なんと言うか、得体の知れない、私の「理屈」では言い表せないような人。よくわからなくて混乱してしまうので、自分の興味の外に置いていたような気がします。
この本を読んで、やっぱりこの人は不思議ちゃんだったのだなと改めて思いました。ただ、私の持っているアンテナはあの頃とは少し違っているようです。あの不思議な感覚を受け止めることができるのです。本当なら、そういった感度は子供の方が高いはず。私の子供の頃は、いろいろなことに押しつぶされていて、私が子供でいることを許してもらえなかった環境にいたのではないかという気がしてきました。
子供のころから、理屈で受け入れることができないものには、どういうわけか背を向けていたような気がします。
絵本や子供が読むような本は、こんなガキっぽいもの読めるか、というくらいの勢いでした。所詮、作り話。誰かが感動させるためにでっち上げた作り話なんて興味なし。
つい最近まで、小説を読む意味さえわからなかったのです。

ブログをやるようになって、人様の読んだ本などに興味を持つようになりました。
中には絵本や児童書がステキだというブログもありまして、それに感化されてしまったようです。 

こうして子供向けの本に興味を持つようになったわけですが、これが今になって谷山さんを受け入れられる要因になったのではないかなと思います。

私は子供としての教育をまともに受けてこなかったような気がします。子どもとして扱ってもらえなかった。大人と同じようなものを要求されていました。
一からやり直しです。自分の中にいる自分、子供の頃の私、いわゆるインナーチャイルドを教育し直しているような感じです。

この本を読んで、谷山さんは不思議ちゃんを目指していたということが、よーくわかりました。というのも、理屈でわかるようなものは作りたくないとずっと思っていたのだそうです。
小説にしても、理屈でわかる必要など全くないのです。絵を見て感動するように何かを感じとれば良い。一つ一つの言葉をかみしめて、その全体から伝わってくるものを全て受け止める。整合性など取れなくて良いのです。摩訶不思議でいい。言葉に表せなくて良いのです。

ふと思ったのです。
私は数学や物理が大好きでしたが、これは理屈の積み重ねなんですね。
でもこの理屈を積み重ねるには、言葉ではうまく言い表せないけれども、数学や物理の世界の全体像が「何となく」わかることが大切なんです。自分からその世界に入り込むような感覚。
数学や物理の問題を解くということになれば、それは出題者との共通の暗黙知ということにでもなるのでしょうか。
小説なら、理屈として言葉で表せなくても、この言葉にするのが難しい共通の認識を著者と共有するということなのかな?
まぁ、解釈の仕方は人それぞれで良いと思うので、必ずしも著者と同じである必要もないのですけれども。
つまりですね、理屈を積み重ねるにも、背景には理屈では表せない感覚が大切だということです。
今頃になって気が付くなんて、いったい今まで俺は何していたんだろ、と自分をぶっ飛ばしたくなってきました。やらないけど。

この本を読んで、谷山さんの頭の中を少しでも覗けたような気がします。
読んでよかった。本好きの人、特に児童書や絵本が大好きな人にはおススメかな?
今度はこの本の中で紹介されていた本を読みたいと思います。それとも、この人が書いた小説に手を出してみようかなぁ。

今までに何度も貼り付けていますが、やっぱりこの曲は名曲だと思います。
わからない人にはわからない。自分なりに解釈してみてね(笑)。


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日本製 三浦春馬

47都道府県について、それぞれ1章ずつ、計47章からなる本ではありますが、2週間経った今、まだ北海道と青森の2つだけ。だって、字が小さいんだもん。(再)
貸し出しを延長しました。

虚栄の市(一) サッカリー作・中島賢二訳

こちらも400ページくらいあるのに、まだ70ページくらいしか読んでません。
だって、これも字が小さいんだもん。(再)
これも貸し出しを延長しました。

今週、図書館で借りた本

行動経済学の使い方 大竹文雄

よく読ませていただいているブログで紹介されていた気になる本があって、そちらの方は予約がたくさん入っているようでなかなか借りられなさそうでしたので、同じ著者の本を借りてきました。
今のところまだ読んでませんが、本命の本がもうすぐ借りられそうなので、もしかしたらこちらは読まずに返していしまうかも。

医者いらずの食 内海聡

いわゆるとんでもの内海先生の本です。

いろいろと批判されることも多い医師ではありますが、私個人としては、それほどひどいことを主張しているようには思えないのです。
医師の免許を持っていますし、それを前提として発信していることです。あまり無責任なことを言っているはずもない。

以前に彼が書いた文章(ブログだか、ネットの記事だか、本だかは忘れました)に、海水を使って病気を治すというようなことが書いてあって、自分の中ではなかなか理解できない、消化しきれないと思っていたのです。
しかし、最近、マグネシウムに興味を持つようになり、塩化マグネシウムのお風呂に入ってみると、これがとても良い。
塩化マグネシウムは海水の成分でもあります。
もしかして、人にとって、海水に浸かるということは、健康の観点からはとても理に適っているのではないかと考えました。
だって、海によく入っている人や海のイメージのある人、泳ぐだけではなくて、サーファーにしろ、漁師さんにしろ、あとは加山雄三さんや桑田佳祐さんなど(笑)、なんだかとても前向きで元気な印象がありますし。

そんなわけで、内海先生がどんな主張をしているのか、ちょっと脳の中を見てみたくなったというわけです。
これから読み始めるところです。

〈叱る依存〉がとまらない 村中直人 (読了)

電車の広告で目にして、気になった本です。
一瞬、著者の名前が、村中ではなくて竹中と脳が錯覚してしまい、本のタイトルから笑いながら怒る人をイメージしてしまいました。


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すみません、話が逸れました。

子供のころから、なぜ叱られなければならないのか、理解できないことばかりでした。
なぜそんなことをしたのかと言われて、かくかくしかじかと話すのですが、そうすれば言い訳するなと怒鳴られ殴られ、それなら最初から謝れと言えばいいのに。
確かに結果としてネガティブなものになってしまったことは確かだけれども、子供の私にどうすればうまくできるのか教えてくれる人もいないし、結果だけを見て怒っている大人の人達だってなんでもうまくやっているわけでもないのに。
はっきりと言語化して考えていたわけではありませんが、大人たちは皆、自分に甘くて、他人、特に立場の弱い人に対しては厳しい。子供心にそんなことを考えていました。

私が思うに、結局、人を叱るということは、叱る側の人間が叱られる側の人間に、自分の都合の良い人になることを強要しているだけということがとても多い。
もちろん例外はあります。例えば、生命の危機など、緊急の事態では叱るのもやもえないのでしょう。

問題なのは、「叱る」という行為に依存性があるということ。
叱ること自体が気持ちよくなって、叱らずにいられなくなってしまうのです。
この本では、そのメカニズムを、できる限り易しい言葉で解説しています。

例えば親による子供への虐待なども、同じようなものです。
本人は躾だと主張していることはよくあることですね。

理不尽なことは社会に出ればいくらでもあるから、若いうちに理不尽に叱られるのに慣れておくべきと言う人もいるようですが、理不尽は心を強くなんかしません。削られていくだけです。トラウマになって心に傷として残ってしまう場合もあります。
実感として私がそうですから、本当によくわかります。

結果だけを見て、それを否定するのは簡単です。
著者は、問題が起きることの原因に注目することが大切だと訴えています。
失敗したことや問題行動について叱るのではなく、なぜそうなってしまったのか、寄り添って考えること。誰にでもうまくできる方法があるなら叱る前に教えてあげれば良いこと。

例として、私の高校の部活であったことを書きます。
定期試験が終わったその日から部活の練習が再開しました。
いきなりグランド数十週走るようなトレーニングが課されました。
私一人だけがペースについていけずに周回遅れになってしまいました。
監督は怒り心頭です。しばらくそのまま一人で走ってろと、さらに走らされ続けました。

私がついていけなかった原因。
私の家は商売をやっていて、家に帰れば夜遅くまで手伝いをしなければなりませんでした。試験があろうとなかろうと、そちらが最優先でした。
それでも勉強はしなければいけないし、試験の最終日ともなれば、何日もほとんど寝ていない状態が続いて、ヘロヘロになっていました。
長い距離を走れるような状態ではなかった。
また、もともと私は、長い距離を走るのがとても苦手でした。
近年いろいろと本を読んで、今になってその理由がわかってきたのですが、高校生のころはよく立ちくらみをしていましたし(鉄分不足)、エネルギー源が糖質に偏っていたことも。
サッカーの日本代表の長友選手は、いくらでも走り続けられることで有名ですね。彼はケトン食を実践しています。ケトン食というのは、簡単に言えば、糖質ではなくて脂質をエネルギー源にする食事法です。糖質よりも脂質を利用した方が、持久力があるのです。
糖質をエネルギー源にすると、一瞬でものすごい力を発揮できるのですが、持久力がなくなってしまうのです。
私はバカ力でしたが、持久力に関しては全くダメだったのです。

指導者は、私がこの持久走についていけなかったことをしかるのは簡単です。しかし、そんなに長距離を走ることが重要ならば、ついていけなかった原因を取り除く指導をするべきだったのです。その方が前向きです。
例えば、指導者の方から親に言ってもらって、せめて試験期間中はお店のお手伝いを免除してもらうとか、食事などの生活習慣についての指導など。
当時の監督には、そこまでの気配りも知見もなかったのでしょう。それに、一塊の教師に、そこまで要求するのも酷かなとも思います。時間がいくらあっても足りない。
でもだからと言って、自分の思い通りにならない生徒、選手に対して、自分の感情を押し付けるというのも何だかなぁという気がします。私自身でも自分のことはよくわからなかったし、努力だけではどうしようもなかった。努力でどうにもならないことについてきつく叱られても、どうしようもないのです。
あの時の私は、ただただ無力感ばかりが募ってしまいました。

こういうことの積み重ねによって、次第にやる気を失っていきます。
そして、自分が何をやりたいのかもわからなくなってくるのです。

この本を通して、最近私が読んだ様々な本、例えばアドラーの心理学や、ポリヴェーガル理論、そしてエンパシーなど、さまざまなところで重なっていて、とても興味深かったです。

前書きの一番最初に書いてあるのですが、

この本は、誰かを「叱る」可能性のある、全ての人のための本です。

本当にその通りだと思います。
もしかしたら、否定する人もいるかもしれません。でも、こういう考えもあるということは、知っておいた方が良いのではと思います。
いつも何気なく、もしくは良かれと思ってやっている「叱る」ということが、もしかしたら一人の人間の人生を台無しにしてしまう可能性もあるということ。
少なくとも、私には、あてはまることばかりなのでした。

 

今回は以上で終わりです。