あめを断らずに素直にいただいておけばよかった...

JR中央線三鷹駅のすぐそばに地下道があります
車両基地を横切る形で通っています

こないだその入口のところを通りかかったら、下のところでおばあちゃんが自転車を動かせなくなって立ち往生していました
電動アシスト付自転車だったのですが、坂が急で、しかもカゴにたくさんの買い物の荷物

フツーに、大丈夫ですか?手伝いますね、って声を掛けて自転車を押したんですけれど、電動アシスト付の自転車は重いですね、私には何ともない重さでも、おばあちゃんにとってはこれはきついな

ここを通らないで平坦なところで線路を横切るとなると、かなり遠回りしなければならなくなる
これは大変だな、なんとかならないものかななんて思いました

おばあちゃんは、重くて嫌んなっちゃう、なんて言いながらニコニコ、そして丁寧に私にありがとうございました、って言ってくださったんですけれど、その次の言葉が衝撃的でした

おにいちゃん、あめ食べる?

なぜか急に可笑しくなってしまった
ここは東京だぞ、これは大阪のおばちゃんの専売特許ではなかったのか?
大阪のおばちゃんなら、あめちゃんになるのか?

笑ってしまいそうになるのを堪えていたら、ついついその申し出を断ってしまっていたんですよ

その場を離れてからハッと思い出してしまった

私はそういったささやかな心遣いなら、素直に受け取ろうと決めていたのでした

誰かに感謝されるのって照れくさいし、自分にとってはフツーのことをしているだけで、そんな感謝されるようなことをしていないって思ったり
だから必ずしも自分にとっては気持ちの良いものだというわけでもない

でも反対の立場に立って、誰かにありがとうっていう気持ちになれるのって、とても嬉しいじゃないですか

おばあちゃんの嬉しい気持ちがそのあめだったわけで、それを断ってしまったのは、その嬉しい気持ちを遮ってしまったのかななんて思ってしまった

と、ここまで書いて、自分で勝手にこじらせているなぁ...と思ってみたり

こないだマスクドさんがこんなことを書いていました

46taishokusita.hatenablog.com

飲食店で列に並んでいる時に、その時の状況を踏まえて、次の人に順番を譲った話
ちょっと引用させていただきます

 

お礼をしてもらったことで『あざとい』とか『偽善』とか『自己満足』みたいな言葉が浮かんできて、そうなると逆に迷惑だったかも?というところまでたどり着き、ちょっとした自己嫌悪に陥ります。

久々に『あざとい病』が出たハナシ〈mata.〉 - 働けおっさんブロガー

 

マスクドさんはこんな風に言ってるけど、譲ってもらった人は、マスクドさんのささやかな心遣いに、気持ちが少しでも温かくなっていると思うんですよ
もしかしたら、その人は今度は立場が逆で同じような場面に出くわすかもしれない
そうなった時に、今度は別の人に順番を譲るかもしれない

ささやかな親切が少しずつでも広がって、その親切を受けた人が少しでも温かい気持ちになる
その繰り返しがいつか世界平和につながるかもしれないじゃないですか大げさか?

もしかしたら、マスクドさんのささやかな親切が、世界平和の起点になるかもしれない
そんなことを考えるのでした ホントカヨ?

 

 

 

Amazonの商品ページは、これをおすすめしていると言うわけでもなく、ましてや売り付けようなんて気持ちはサラサラ無くて、ただ面白そうだからというだけのことです。