いつもここに読みに来てくださる皆さんにはほとんど興味のない話です
皆さんと共有しておきたいことというよりは、私が自分の記憶にはっきりと刻んでおきたいことといった感じでしょうか
私の大好きだった元サッカー選手が亡くなっていたことを今になって知りました
2022年12月のことでした
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最近、YouTubeのショートを何気なく眺めていたら、名フリーキッカー3選というのが流れてきました
皆さんご存じのメッシ、私が大好きなユベントスにいたピルロ(イタリア)、そして日本が誇るフリーキッカー中村俊介
確かに皆素晴らしいフリーキッカーではあるけど、どうしても納得いかないのですよ
そこにシニシェ・ミハイロビッチ(元ユーゴスラビア代表、現セルビア)の名前がない
私が見てきた中で、一番のフリーキッカーなのです
ディフェンダーのくせに背番号11番つけて、フリーキックを蹴るんです
(ディフェンスの能力はあまり高くなかったという噂も…)
圧巻は、フリーキックだけでハットトリック(1試合で1人の選手が3点とること)を達成してしまったこともある
ミハイロビッチの魅力は、近かろうが遠かろうが、どこからでも蹴れるところ
当時のユーゴスラビア代表と言えば、どうしたってエースとして浮かんでくるのは、Jリーグでも活躍したストイコビッチですね
ストイコビッチだってフリーキックはなかなかのもの、でも代表戦では彼はミハイロビッチにフリーキックを譲っていたほどでした
あの頃のユーゴスラビア代表の面子がすごすぎる
ストイコビッチ、ミハイロビッチ、スーケル、ユーゴビッチ、サビチェビッチ、ミヤトビッチ、ボバン…
東欧のブラジルとはよく言ったものです
しかも、そんな個性派軍団を指揮していたのは、後に日本代表の監督にもなったオシムでした
このバラバラなチーム、オシムでないとまとめきれないと言われてました
でも内戦が激化して、ユーゴスラビア代表はその制裁で国際試合から閉め出されてしまったんですよね
その後、国そのものが解体されてバラバラになってしまった
あの面子でワールドカップにもしも出ていたら…と妄想が止まりません
そんなすごすぎる選手の中で、ストイコビッチまでも差し置いて、フリーキックはミハイロビッチなのでした
今の日本代表に欠かせない冨安選手がイタリア(ボローニャ)でプレーしていた時の監督が、このミハイロビッチでした
彼はこの冨安選手を高く評価していて、冨安がアーセナル(イングランド)に移籍する時には、相当悔しがっていてくれたみたい
個人的には、冨安はミハイロビッチからフリーキックを教えてもらってから移籍して欲しかった(笑)
こんな機会、なかなかないですから
冨安選手の成長にも関わってくれたミハイロビッチ、つまり、今の日本代表の強さの一端を担っていると言えるかも知れません
ちょっと(かなり)前置きが長くなってしまいましたが、そう言えば今はどうしているのだろうと気になって調べてみたんですよ
彼が白血病を患ったことは知っていました
冨安選手がボローニャ(イタリア)にいた頃だったので、その監督ということで日本でもニュースになってました
でもさすがに冨安選手が去った後の事はあまり報道されないんだな
白血病は、今は必ずしも不治の病ではなくなってきているし、かすかな望みを持っていたわけですが…
2022年12月、亡くなっていました
今まで知らずにいた自分が残念すぎる、そして、とても悲しい気持ちと寂しい気持ちと…
今さらながら、お疲れさまでした
今まで面白いサッカーを見せてくれてありがとう、シニシェ…
オシムにももう少し長く生きて欲しかったな…
※Amazonの商品ページは、これをおすすめしていると言うわけでもなく、ましてや売り付けようなんて気持ちはサラサラ無くて、ただ面白そうだからというだけのことです。