キムタクってキムチとたくあんのこと?

皆さんはキムタクと聞いて、何を連想しますか?まぁ、普通は芸能人の木村拓哉さんでしょうね。

こないだとあるブログでキムタクの文字を見て、キムチとたくあんが浮かんできてしまいました(笑)。

そのブログというのは、毎日食べたいものをちょっとずつ、という食べ物のブログです。

ot-icecream.hatenablog.com

それゃ、キムチとたくあんが浮かんできても仕方ないというものです(笑)。

実際には木村拓哉さんのことだったのですが、それ以来、ずーっとキムチとたくあんの組み合わせが気になって仕方なくなりました。

何か作ってみたい...。

罰ゲームへまっしぐら...。

 

さてと、母と妹が朝ごはんをたくさん残したので、これはお昼用はわざわざ作ることもないなと思ったのか今朝のこと。

それならちょっくらやってみるかと、チャチャッとキムタク肉まんとキムタクピザを作ってみました。

 

・キムタク肉まん

米粉の生地で、炒めた豚ひき肉、キムチ、粗みじんに刻んだたくあんを包んで蒸し上げました。

・キムタクピザ

いつもの米粉パンのお店で買ったピザ生地に、チーズとキムチとたくあんをのせて、オーブンで焼きました。

信じられないかもしれませんが、味の方向性としては結構いけるかも知れない。細かい修正は必要ですが。

例えばたくあんの切り方。

キムタク肉まんでは、たくあんのパリパリとした食感を残したくて、少し大きめの粗みじん切りにしたつもりですが、それでもたくあんの食感はほぼ感じられませんでした。もっと大きく切っても良かったみたい。

一方で、今度はそれを踏まえて、ピザのたくあんはみじん切りにせず、大きめに切ったら、とても食べにくくなってしまった。もうすこし小さくても良かったな。

このように、小さな修正をたくさんこなしていけば、必ずや美味しくなる、そんな気がしています。

とは言え、ピザの方はチーズの包容力とでも言いましょうか、チーズっていうやつは、何でも美味しくしてしまうな、そんな気もします。

さて、今回使ったたくあんとキムチ。やっぱり自分で納得のいくものを使いたいものです。

キムチははじめからこれしかないなと決めていました。問題はたくあんの方です。

気にしなければ何てことはないのです。でも、私は気になってしまう。どいつもこいつも、余計なものを入れすぎです。

自分としては、シンプルに塩だけでも良いくらいです。

普通のスーパーでは見つからずにあきらめていたのですが、高いのを覚悟でビオセボンで覗いてみました。

おぉ!これは合格じゃないか。

思ったほど高くはなくて、これで1本430円(税別)。

それからしばらくして行った農産物直売所で見つけたのがこちら。

原材料を見て驚いた!

大根と塩とぬかと唐辛子だけ。

探していたものがこんなところで見つかるとは。これで350円(税込み)。

私にしては珍しく、即断で買ってしまいました。ビオセボンで買ったたくあんは日持ちしますので、後回しにします。

実際にまずはそのまま食べてみると、正直なところ、あまり美味しくない。なんと無く数多の漬け物メーカーが余計なものを入れたがる気持ちがわかるような気がしました。消費者に美味しく食べていただこうと、工夫に工夫を重ねているのでしょうね。

でもこれで温かい炊きたてのごはんを食べたら、お米の甘さが思いっきり引き立つだろうな。

歯ごたえは申し分ないので、それを活かすことができれば、それで十分のような気がします。

キムチはこちら。もともとあまり食べないけど、キムチと言えばほぼこれを選んでいます。

実は、私にとってキムタクと言えば、元プロ野球選手の木村拓也さんです。

私は巨人目線でプロ野球を見ています。ファンかどうかは微妙です。
なので日本ハムにいた頃は、このキムタクの存在さえ知りませんでした。
広島カープにいた頃は、名前のインパクトは強いものの、特別すごい選手とは思わなかった。相手チームにとって脅威にはならないのです。

ところが巨人に移籍してきてからのキムタクは、ものすごく大きな存在でした。相手に脅威にならなくても、味方にとってはものすごく頼りになる、偉大な選手でした。

だって、守ればピッチャー以外の全てのポジションをこなすんですよ。それも十分に高いレベルで。普通はどんなに頑張っても、キャッチャーだけはなかなかできないものですが、もともとはキャッチャーなのです。実際に控えのキャッチャーを使いきったところで負傷者が出て、急遽マスクをかぶって、チームの窮地を救ったこともあります。その時の原監督は、キムタクを最大限の言葉で讃えていました。

攻撃では、俊足のスイッチヒッター。相手ピッチャーが誰であろうと構わないのです。当時のスター選手勢揃いの巨人では、控えに回ることが多かったわけですが、それでも代打の成功率はダントツに高く、出塁率が.500に届くシーズンもあったようです。これは驚異的です。

守備でも攻撃でも、これだけたくさんのポジションを完璧にこなす。どれだけの練習量だったのか、想像するに余りあるというものです。

そのくせ、いつも優しそうな笑顔で、野球が楽しい!っていうオーラをたくさん発していました。

37歳というやや早めの引退は、すでに身体がボロボロになっていたのかもしれません。

引退した翌年は、巨人に残り、コーチに就任しました。小さな身体でたくさん練習して、たくさん苦労して、たくさんの小さな成功を積み重ねてきた彼のことだから、きっと素晴らしいコーチになると期待していました。

それがシーズンが始まって間もない春の日、試合前の練習で倒れて...。

意識が戻ることなく、そのまま逝ってしまった。
くも膜下出血でした。もうすぐ38歳になろうかという2010年の春のことでした。

 

……今日、4月7日は、私にとってのキムタクの命日なのでした。

 

来年はもっとちゃんと美味しいキムタクを作れるよう、頑張りたいと思います!

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