吃音やHSPにこだわっているというよりも、これからの人生を楽しく生きていくための戦略なんです。

昨日書いた記事を読み直していて、その振り返りというか、感想というか、ちょっと考えるところがありました。自分で書いた文章の感想文?(笑)

 

tohost3250303.hatenablog.com

 

これを読んで、たぶん私がいい歳こいてまだ吃音にこだわっているの?と思った人もいるのではないかな?
自分自身でさえ、もうそんなことどうでも良いじゃないかっていう気持ちがあります。
今のところ必ず治す方法は確立されていないし、そんなことにこだわるくらいなら、もっと別の方向に目を向けて、楽しく生きた方が良いのではないかって。

若い頃は本当に吃音に振り回された人生でした。今でもある程度は気にしている部分もありますが、昔ほどではない。

吃音さえなければ、吃音さえ治れば、自分の人生はもっとうまくいくって、そんなことばかりを考えていた小学生~大学生の頃でした。

働くようになって気がついたこと、それは自分の問題は吃音だけにあるということではないこと。

そして、ずーっとそれが何か悶々としながらただ時間ばかりが過ぎて行ったわけですが、そこにきての近頃のHSPブーム。
HSP関連の本を読み漁ってみて、まさしく私のことでした。
私が苦しんでいたのはこれだって、その時は本当に救われた気持ちになりましたよ。

でも、今はもうHSPのことは自分の中ではどうでも良いものになっています。

最近読んだ本。

自分にとっては、HSPはどうでも良いのですが、この概念に救われたのも事実。
自分にとって功はあっても罪というのがいまいちピンとこなかったので、ちょっと読んでみようかなと。

その罪の部分ですが、ひと言で言えばここに集約されていると思います。

(55ページ)

あらゆる「生きずらさ」エピソードに「HSP」というラベルが貼られてしまっています。何か調子の悪いときに、すべて「ストレスのせいだ」と原因を求めることと、どこか似ています。

私が若い頃に吃音だけに固執してしまい、他を見れなくなってしまったこととよく似ている。
本当は他にもいろいろあるかもしれないのに、そこに留まって、逆にそれが自分にとって居心地が良くてなかなか抜け出せなくなってしまう。

医者が原因不明の症状を診て、ストレスが原因ですで済ませてしまうのと、どこか似ているな。
本当はそのストレスからどうしてこの症状が出るのか、そこまで説明してくれないと、対策の打ちようがないと思うのですけれどね。
一時的にストレスを避けることはできても、継続的にストレスから逃げるなんてできないですよね。仮にストレスを全て排除できたとしても、そんな人生が楽しいとはイメージが湧きません。

私がHSPについてどうでも良いなと思うようになったのは、脳を研究している池谷裕二さんの本にときどき書いてある話を読んでからでした。
今読んでいる本はこちら。

割と平易な文章で書いてあるので、主に移動中の電車の中とか、献血の時の暇つぶし専用なっていて、なかなか進まないのですが、この本にも書いてありました。

(254ページ)

人の神経細胞はもともと持っていた数を100%とすると、3歳までに70%が減り、約30%が残ります。不要な神経細胞はエネルギーを無駄に消費するので、捨ててしまうのでしょう。

この本ではないですが、これに加えて、あまり神経細胞が残り過ぎると、生きずらさの原因になるとも書いてありました。
あ、これがHSPの正体なんだな、と思ったものです。何らかの原因で、神経細胞があまり減らずに育ってしまったのかと。

例えばアダルトチルドレンHSPが多いのは、幼少期に虐待があれば神経細胞は減ることはなくなると考えると納得できます。

HSPは生まれつきのものという定義があるので、正確にはこれはHSPとは言えないのかも知れません。しかし、ポリヴェーガル理論(←気になった人は自分で調べてね)でも説明される通り、後天的にHSP状の症状が現れることもあるわけで、繊細であることについて、これからの人生においては生まれつきかそうでないかはあまり関係ない。
むしろ、先天的だろうと後天的だろうと、たくさんの神経細胞を持ちすぎているために、必要以上にエネルギーを消費してしまい、それが生きずらさにつながることの方が重要なんだなと思っています。

吃音のことについて言えば、前に何人かの栄養療法の医師の本を読んで、原因として脳が高スペックすぎるというのがありました。
それが本当だとしても、私はけっして高スペックだなんて思っていなくて、むしろ大飯食らいのポンコツだと思っていますが、通常よりもたくさんのエネルギー必要とするのだそうです。
つまり神経細胞が多すぎるということなんです。

原因はHSPと同じ。
実際に、吃音者にはHSPが多いと言われています。
吃音のせいで周りに敏感になってしまったという考え方もできますが、それでも敏感さ繊細さはHSPと同じ。

それで、そのためにはこれからどうしたらよいかと考えた時に、脳がエネルギーをたくさん消費して不足がちになるのなら、エネルギーをできるだけ使わない(ストレスから離れる)ことよりも、よりたくさんのエネルギーを作り出す身体を作る方が、これからの人生を楽しく生きていけるのではないかって思ったのですよ。

これ以外にも、認知症の原因として、脳のエネルギーが足りなくなっていることが指摘されることもありますし、私は人が自殺に走ってしまうのは、ストレスを受けすぎて脳のエネルギーが足りなくなることが原因の一つだと思っているんですね。
他にも鬱や統合失調症なども同じこと。

私はもういい歳ですし、そろそろ老後について考えなくてはいけない年齢だと思います。
たぶんこのままでいけば、最後の何年かは一人で生きていくことになると思います。
そういった時に、誰かの介護になるのはできたら避けたい。
若い人の手を煩わせることなく、死ぬ直前まで、せめて自分の身のまわりのことは自分でできるようにしておきたい。
誰かの人生の邪魔をせずに、ピンコロでこの世を去っていきたいと思っています。
そう考えた時に、これからどんどん年をとっても、エネルギーをしっかり作れる身体でありたいのです。

私がしつこく脳のエネルギーにこだわるのは、吃音やHSPにこだわっているというよりも、これからの人生を自分なりに楽しく生きていくための戦略だと理解していただければ幸いです。

さて、今日もがんばろう。