私は何のために本を読んでいるのだろう?

なる (id:nantoka-naru)さんは、ぐるぐると考えてしまう時、頭を休ませるために軽く読める本を読むのだそうです。

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私もとりとめもなく頭の中がグルグルしてしまうことがよくあります。
なるさんの記事を読んで、ほぉーなるほどなと思ったのですが、よくよく考えてみたら自分にもそんな本があったなぁと思い出したのです。
もう、30年くらい昔、まだ学生だった頃のことですけど。
一つは中島らもさんの「明るい悩み相談室」、そしてもう一つは、写真家の藤原新也さんのエッセイ。

「明るい悩み相談室」はとりあえずおいといて、藤原新也さんの本はどれでも、読むととても気持ちが落ち着くのです。私の精神安定剤でした。自分で自覚していて、落ち着かない時はよく読んだものでした、
決して軽い内容ばかりではないのです。どれも(日本を含めて)世界中を旅して記したものですが、時には生死を扱ったり、宗教問題だったり、現代社会・文明についての批判だったり。
でも、私の視点とは全く違った方向を向いていて、私の気が付かないようなことにたくさん気が付いている。それが何だかとても気持ち良かったのです。
人それぞれ物の感じ方は違うだろうし、今となっては時代背景も大分違っていますので、今この本がどのような評価をされるのかは何とも言えませんが、当時の私には、著者の藤原さんがとても優しい人に感じられたものです。

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最初に読んだのは「東京漂流」でした。大学での勉強の中で、都市というものをどういうふうに捉えるか、その中で手に取った1冊だったはずなのですが、当初の目的とは全く違った意味を持って、私の愛読書になったのでした。
もともとは知的好奇心だったのが、いつの間にか精神安定剤になっていました。本を読む理由もいろいろですね。

私は小説はほとんど読みません。
読まないというより、読めないといった方がより正確かもしれません。
最近読んだ本によれば、どうやら私には軽い発達障害(SAD)があり、ストーリーを追うことが困難なようです。
自分が発達障害なんてわかってしまうと、気になって仕方なくなりそうなので、できるだけ遠ざけていたのです。そんな気もしていたし。とは言え、吃音だって発達障害に分類されているし、それだけで十分に発達障害なのでした。

私はずっと、自分を肯定したくて本を読んでいるのだと思っていました。私にとって読書とは、自分に十分な自信を持てない、それを穴埋めするために、私以外の誰かの考えに触れて、その中に私を肯定する要素を見つける作業なのだと思っていたのです。

しかし、私が近年に読んだ本を振り返ってみると、どうもニュアンスが違うような気がする。
やはり自分に自信がないということになってしまうのですが、自分のことが全く分かっていないことに不安を覚え、自分のことをもっと知りたい、そう思って本を読んでいるのではないか。何となく、自分の研究といった感じでしょうか。これは一生のテーマになりそうです。

意識が自分の方へどんどんと向いてきてしまっています。自意識過剰なようです。もともとその傾向があったとは思いますが、若い頃は今よりも多少は意識が外に向いていたような気がします。自分に向いている意識を外に向けないと、いつになっても生きることそのものが苦しそうです。でも、どうしても興味を持つ本は、「自分の研究」になってしまう。

はてなのユーザーさんは、読書好きな方が多いですね。皆さん、ちゃんと興味を自分自身の外側に持っていて、とても刺激されます。

ずっと、読んだ本について、感想文とはいかないまでも、記録を書きたいと思っていました。自戒を込めて、自分の興味がどこへ向かっているのか、読んだ本を振り返ることによって確認していこうということです。これもやはり「自分の研究」ということになってしまいますが(笑)。

そしてやはり、これもブログに残していこうかなと、考えているところです。

 

 

今週のお題「読書の秋」