読了 「ライオンのおやつ」

半年待って借りてきた本ですが、一気に読んでしまいました。
まだ待っている人がたくさんいるようですし、早いところ返却してこなければね。

NHKでドラマ化されましたし、とっても有名な作品ですので、あらすじとか、概要を詳しくは書くつもりはありませんが、気になる方は出版社のホームページでもなんでも見ていただけたらと思います。

www.poplar.co.jp

誰が言ったのかは覚えていませんが、宗教というものは誰にも必ず訪れる死というものへの恐怖をやわらげるものだと、聞いたことがあります。なるほどなとは思うのですが、私自身、あまり死というものに対して、恐怖心がないのです。
私は死んでしまえばすべてなくなると思っています。死後の世界などないし、あったら嫌だし、ましてや輪廻転生などまっぴらです。今生きている、それだけで十分です。
死ぬ直前にやって来る、痛みや苦しみ、これらからはできれば逃れたいとは思っています。痛いのや苦しいのが好きというほど変態ではないですし。

私は子供のころからずっと、死について考えていました。
たぶん、父方の祖母が亡くなったことがきっかけだったのではないかと思います。
私が赤ちゃんだった頃に祖母と一緒に撮った写真はあるので、かわいがってもらったのだとは思うのですが、記憶は全くないです。物心ついた時には、祖母は入院していました。糖尿病で、たぶんそれが原因の神経障害だと思うのですが、言葉を話せなくなっていました。母に連れられてお見舞いに行くと、祖母はいつも何か話そうとするのですが、声にならない。とても悲しそうな顔をしていました。
その祖母が亡くなったのはクリスマス。まだ私が小学校に上がる前だったと思います。
死んだ後に焼かれて、骨になって出てきたのがとてもショックでした。
それ以来、何かにつけて、死というものが怖くて仕方なくなってしまいました。
自分が死ぬのが怖いというよりも、自分の周りの人たち、それだけでなく、命あるものすべてが必ず死んでいくということが、どうしても自分の中で消化できなくて、何とも言えない恐怖心をずっと抱いてきました。
夜はなかなか寝付けないし、天井の木の木目が人の顔に見えてしまったりすると、それが怖くてさらに眠れなくなって。布団にもぐって、その恐怖に耐えている、そういう子どもでした。中学生か高校生くらいまでは、そんなことばかり考えていましたね。

でも、いつの頃からだろう?
死について自分なりに何か結論が出てきたわけでもないのですが、特に近年は、死に対してというよりも、死後に対してという方が適切かな?恐怖を感じなくなってきました。どうせいつか死ぬし、死んだらそれでお終いだし、そんな風に考えるようになりました。
ときどき生きるのが面倒くさくなってしまうこともありますが、そういう時は、死んだらそれでお終いなのだから、あと少しのことだし、とりあえず死ぬまで生きてみるか、そのように考えるようにしています。あ、何度も繰り返してしまうようですが、自分の死に際しては、痛いのとか苦しいのは何とか逃れたいとは思っています。

だからというわけでもないのですが、死の恐怖から逃れるという意味では、私には宗教って要らないのかなという気がしています。
死の恐怖から逃れるということを別にすると、宗教って生活の知恵の要素がとても強いのかなって思っています。
例えば、温暖で食べ物が豊富に手に入る日本で、何でも許しましょうという仏教が何となく定着したり、食べ物や水でさえ思うように手に入らない砂漠の国では、厳しい戒律のあるイスラム教が定着したのは、とても自然なことだったんだなと思います。

話が逸れてきてしまったので元に戻しますが、この「ライオンのおやつ」という小説は、著者の母親ががんを患って、死に対して強く恐怖心を抱いていたことがきっかけで書かれたそうです。著者は、死に対して恐怖心を抱いている人が、少しでもその恐怖から解放されますようにと、この小説を書いたのでした。まぁ、残念ながら、肝心のお母様の死には間に合わなかったようですが。

死後の世界というのは、あくまでも生きている側の人間のものだと思っています。その人が亡くなって、そして無くなることを受け入れられない気持ちを、否定せず、そして癒す、そういう役割のものなのだと思っています。
私はそれを否定しようとは思いませんし、それは私が身内の人達の命日や月命日に、その人にちなんだものを食べたりだとか、家族でなくても、おりょー♪さんの月命日に焼いもを食べるなんていうのは、死後の世界を信じていることと大して変わらないと思いますしね。私の心の中でいつまでも生きている、それこそが死後の世界なのかなという気がしています。

主人公の雫は余命宣告を受けてこのホスピス、ライオンの家でお世話になろうと決めました。雫は、自分の生があとわずかだと知って、その残りの人生を自分に素直に生きて行こうと決めたのです。自分の命があとどのくらいあるのか、それがわかるといろいろなことに割り切りがつけそうな気がします。できれば私も知りたい。あと少しだとわかればがんばれそうな気がします。
積極的に死にたいとは思わないけれども、死んじゃったら楽になれるかなとか、何となく生きるのって面倒くさいなと思うことが多くて、特に最近はそういう気持ちになることがとても多くて、でもこの小説を読んだら、もうちょっと頑張ってみようかなという気持ちになりました。

雫は自分の人生を振り返って、一つ一つの思い出をとても愛おしく感じます。
私の人生が今、もう少しで終わるとして、はたして私は雫のように、自分の過去を愛おしく感じられるのだろうか?たぶん、ダメだと思う。できないと思う。
自分の人生に後悔はないよ。その都度、その時にできる精一杯の判断をしてきたつもりです。でも、今の自分は、自分の持っている能力そのもの。結局、大したことない自分だったんだなって思うだけです。
でも、死ぬ瞬間まで諦めない。いつだって人は変われる。死ぬ間際だって変われる。
いつか、雫のように、自分の人生を愛おしく感じられるようになれるかな。
あともう少しだし、あとちょっと、がんばって生きよう、この小説を読んでそんな風に思うのでした。

余談ですが、粟鳥州なんて名前を登場人物に使うのはやめて欲しいのです。ドキドキしてしまうじゃないですか!その登場人物が自虐的に自分のニックネームをつけただけだと後からわかってホッとしましたが、間違っても「クリト・・・」なんて読んではダメですよ!(笑)

ドラマでは、主人公の雫を土村芳さん、ライオンの家の代表(通称、マドンナ)を鈴木京香さんが演じていました。原作を読んでも、この配役はピッタリだったなと思います。小説を読んでいて、登場人物のイメージはドラマの配役の通りでした。どの役もはまっていたと思います。
また見たいな。

できれば、映画化されないかなぁと思います。
舞台にとても景色の良いところを選んで、美しい映像をたくさん取り入れる。
人間物語をコンパクトにして、その分、美しい景色をたくさん流すと、「死」との対比でとても世界が広がっていくような気がします。
特に、雫が島にやってくるシーンとか、雫とタヒチ君が島の中をドライブするシーンとか、雫の視線で映像を流し続ける。
タヒチ君のブドウ畑の色?それとも、舞台がレモン島なので、スクリーンいっぱいに黄色というのもいいのかな。