子どもの日以来、久しぶりに二子玉川のファーマーズマーケットに行ってきました。
で、今回はあまり買うものもなくて荷物が少なかったので、もっと久しぶりに、歩いて帰ってきました。
二子玉川の辺りから東急多摩川駅あたりまで、ずっと続いている小さな川というか用水路みたいなところに沿って歩いて帰ってきました。
これは上野毛の辺りかな?
平日の昼間。とても静か。
この静かさ、好きなんですよね。
私が生まれたのは、ここからずーっと東の方。
生まれてからずっと同じところに住んでいます。
子どもの頃は家の周りは町工場だらけ。
金属を削る音や、機械のモーターが動く音などなどうるさいほど賑やかでした。
子どもたちはそこら中の路地や空き地で遊んでいて、こちらも賑やか。
町工場のおじさんたちは、仕事の休憩で路地でキャッチボールをやっていたり。
町工場で働く人のための飲食店やら、商店街やらもとても賑わっていて。
子どもも大人も、街中に人が溢れていて、いつも本当に賑やかでした。
正直、私はちょっと苦手だったんですけどね。
で、今はその町工場がどんどんなくなり、商店街も名前だけになり、その跡地にはマンションやらちっちゃい住宅が連なるようになり、昼間に人を見ることがほとんど無くなってしまった。
あの賑わいは一体何だったのだろうか?というくらい閑散としている。
苦手だなと思っていた賑やかさがなくなって、それが行き過ぎてしまって、なんだか寂しさを感じます。
自分の住んでいるところは、人がいないと寂しく感じる一方で、冒頭のファーマーズマーケットからの帰り道、世田谷区や大田区の田園調布あたりになると、どういうわけか、人がいなくて静かで良いなぁと思ってしまう。
人がいなくて寂しく感じる今住んでいる場所よりも、同じように人がいなくて、でも静かで良いなと感じる世田谷区の方に魅力を感じるし、できることなら引っ越したいくらい。
この違いは一体何だろう?
自分が今住んでいるところ辺りの人って、なんだかギスギスしているように感じているんですよね。自分の勝手な自意識過剰なんだろうけど、なんとなくいつも見張られているような、見張ってはいないんだろうけど、私がなにかやればそれがそこら辺中に筒抜けになってしまう。そういう感じが辛い。
実際に、私が近所で買い物をしていると、その情報が天敵の兄に駄々洩れになっていたりするんです。
息苦しくって、最低でも歩いて30分は離れたところで買い物をしているのです。
人がいっぱいで、それぞれとそれなりにつながっていれば、そういう感じが希薄になりそうな気がするけれど、人がいないのに見られているんです。なんだか怖い。
別に世田谷区でなくても良いのかな。
私のことを知っている人が全くいない場所、もしくは、会う人それぞれにちゃんとコミュニケーションがとれる場所、そういうところで生きていたいな、そんな風に感じるのでした。
◆
今週は少し歩きすぎました。
週の後半は、エネルギーの使い過ぎになってしまい、吃音の方がボロボロでした。
いつものパン屋さんで、めちゃくちゃ吃りまくっていました。
エネルギー源のココナッツオイルを持って出るのをすっかり忘れていて、嫌ーな予感はしていたのですが、その通りになってしまった。
ココナッツオイルをなめているだけで、かなり楽になる印象です。
お守りみたいなものかも知れないけれど、まぁそれでも良いかなと思っています。
今まではココアパウダーを混ぜて、固めて持ち歩いていましたが、気温が高くなってもうそれはできません。どうやって持ち歩くか、思案中。
保冷バッグに入れても良いのだけれど、いちいちリュックを開けて出すのが面倒なんですよね。
溶けた状態のままボトルに入れて、栄養ドリンクのような感じで飲むしかないのかな。
今週歩いた距離 98.8km (21:06)
1月 391.3㎞ (82:25)
2月 321.3㎞ (68:38)
3月 350.4㎞ (74:23)
4月 377.2㎞ (80:46)
5月 341.4㎞ (72:33) (28日まで)
累計 1781.6㎞ (380:45)