思いがけず、「尊い」という言葉がぴったりなんだよな

NHK-BSのドラマ「舟を編む」にすっかりはまっているねぼけねこさんです。

これは是非原作を読んでみたい、そう思わせられます。

 

 

私は観ていないのですが、映画も素晴らしかったみたいですね。こないだ「舟を編む」のことを書いた時には、映画の世界観を壊したくないからドラマは観ていないというブコメをいくつかいただきました。

野田洋次郎、すごく良いと思いますが、映画の松田龍平も気になります。
何となくイメージできます。
勝手に思っているのですが、松田龍平・翔太兄弟って、父親の松田優作の魅力を、見事にスパっと半分ずつ受け継いでいるような気がしています。

このドラマ、毎回毎回、なんというか、突き刺さるというか、グワッとくる言葉が出てきます。

こないだなんか、

「○○と出会う前の自分にはもう戻れないんだよ」

これ、恋愛関係の言葉ではないんですよね。
人は皆、出会った人に影響されていくんですよね。
自分の脳の中にその人の存在が刻み込まれてしまうと、何かにつけその人の影響を受けていくことになる。そうやって人は、ものの考え方が分厚くなっていくのかな。
出会いを怖がっていてはいけないなと思うのですが、なかなかそううまくはいかない私なのでした。

実生活での出会いは無理でも、せめてブログで知り合った皆さんには、たくさん影響を受けて生きていきたいと思います。

で、こないだの放送では、「尊い」という言葉について議論していました。

この「尊い」という言葉、近年はいわゆるオタクの人が推しのアイドルやアニメキャラを賛辞する言葉として使われていますね。昔の使い方とは少しニュアンスが違うのですが、それがかなり一般的になってきた。辞書にもその新しい使い方を載せるべきか、そしてその用例をどのようなものにするか。

誰かが尊いという言葉を発する度に、すぐにメモをとる馬締さん(野田洋次郎)がとても面白い(笑)。

春は寂しい季節ですね。新しことが始まるということは、それに伴って終わることもたくさんあるわけです。

こないだはモーニングショーのお天気コーナーで、森山アナのストレッチが見れなくなってとても寂しいということを書きました。

tohost3250303.hatenablog.com

もう一つ、またショックなことがありまして…

駅の地下の食品売り場の大好きなレジ係の女の子がいない…

正確に出勤の日を把握しているわけでもないのですが、土曜日なら必ずいたんですけれど、いなくなっちゃったのです。

なんとなくシンクロ(アーティスティックスイミング)のオリンピックメダリスト・奥野史子さん似の、いつもニコニコ笑顔の女の子でした。

私は奥野史子さん大好きなので、それだけでちょっと気になっていました。

 

 

最近のレジって、お客さんとレジ係の間に飛沫防止用のパーテーションが付いていますよね。そうすると何を言っているのかはっきりわからないことがあって、そのレジ係の女の子はパーテーションの下から覗き込むようにこちらを向いて話してくるのです。

おじさんとしてはそれだけでドキドキしちゃう(笑)。とてもかわいい。

森山アナもそうだけど、けっして何か変な妄想はしてないですよ。
ただそこにいるだけでよい。そこに行けばその人に会える、ただそれだけで良いのです。
たくさん元気をもらっていました。

ひょっとすると、これが「尊い」ということなのではないか。
そんな気がしてきた。

これまでこの「尊い」という言葉を簡単に使っている(ように見える)人たちを見て、ものすごい違和感を覚えていました。
言葉は正確に使いましょうよって。

でも、今、自分の気持ちを少しでも正確に表現しようと思えば、「尊い」以上に相応しい言葉が浮かんできません。

森山アナのストレッチも、レジ係の女の子も、やっぱり尊いのですよ。

ドラマ「舟を編む」を観ていると、自分の気持ちや思いを言語化するということがとても大切だなとつくづく思わされます。

私はとても苦手。
苦手故に遠ざけてしまった。

今回、一つ言語化できて、少しすっきりした気持ちになっています。

(喪失感はとても大きいのですけれどね…)

 

あと次の献血までわずかになってきました。
年度替わりのこの時期は、献血する人が減るのだそうです。
私は献血可能日になったらすぐに行きたいと思っています。

あの看護師さんがまだいてくれたら良いなぁ。

あの方もまた尊いのですよ…

 

Amazonの商品ページは、これをおすすめしていると言うわけでもなく、ましてや売り付けようなんて気持ちはサラサラ無くて、ただ面白そうだからというだけのことです。