柿の種よ、お前を幸せにしてやる

今シーズンの柿が、ついに最後の1個になりました。
これで最後かと思うと、さまざまなことが走馬灯のように…なんてわけないやろ(笑)

せっかくこないだ柿の種を簡単に取る方法を思いついたわけですから、その通り半分に切って種を取り、柿シャーベットにしたわけです。

 

 

その時の記事に、柿から種を取り除いた穴に何か詰め込みたくなったと書いたら、ふぉざりん(id:fotheringay)さんからこんなブコメをいただきました。

 

食日記 2023/12/20 - 通りすがりのものですが

詰め込むのは、やはり、「柿の種」でしょう。

2023/12/21 08:02

ふむふむ。

柿の種を詰めるのならば、これが良いだろう。

ot-icecream.hatenablog.com

成城石井で買ってきちゃいました。

「しあわせな柿の種」

結構いい値段しますなぁ、税別で990円。たっぷり440gです。
詳しく知りたい方は、OTさんの上の記事をお読みください。

 

 

で、この柿の種の何が幸せなの?と考えた時、私が考えた答えがこちらです。
これは、OTさんのブログに付けたブコメです。

どんな柿の種なら幸せになれるだろう - ツレヅレ食ナルモノ

これはねきっと、柿の種が誰かを幸せにするのではなくて、柿の種が幸せなのですよ。まだ原材料のところから大切に大切に扱ってもらい、最後はOTさんみたいな人に食べてもらえる、柿の種冥利に尽きるではないですか😋

2023/12/05 09:36

実はこれ、柿の種を食べて幸せになるというものではなくて、柿の種を幸せにするためのものだったんですね。というのが、私の考え(というより思い付き)

人だけにあらず、この世に生きとし生けるものすべてが皆幸せにならなくてはいけません。皆幸せに向かって生きているのです、
柿の種は生きていないって?
そんなことを何を根拠に言ってるのだか?

生きていないものだとしても、それなら人が生を与えれば良いのです。
簡単に言えば、生きていると信じれば、それは生きているのです。

人は二度死ぬと言います。
一度目は生物としての死。
呼吸が止まり、血流が止まり、細胞が活動しなくなり訪れる死。
しかし、誰かの心の中では生き続けているのです。
誰かの記憶からも消え去ってしまう、これがニ度目の死。

私に関しては、通常の一度目の死よりも先に、ニ度目の死が訪れないかなと思っています。
全ての人の記憶から一切消え去ってから、生物としての死を迎えたい。
それが叶わぬなら、せめて私が死んだときには、全く悲しい気持ちにはならずに、皆で大笑いしていただきたい。

ここでは、そんなことはどうでも良いのです。
今論じているのは柿の種の死です。

柿の種は生物としての生はとっくに終わっています。
ほとんどの原料は植物由来のものとはいえ、過去にはこいつも生きていたんだなぁ、なんて思う人は世界広しと言えどもだれもいないと思います。いるとしたら、それはたぶん私だけだと思います。

しかし、人にとっての二度目の死のような死には至っていないのです。
たぶん、日本国民一億三千万、ほぼ全てが柿の種大好き。ホントカヨ

つまり、日本国民一億三千万人のほぼすべての心の中で、柿の種はまだ生きているのです。
それなら、この柿の種ちゃんを幸せにしてあげたいじゃないですか。

まぁ、つまりおいしく食べてあげて、その味をいつまでも忘れずに愛でてあげたら良いのですが、それで終わってしまったらブログとして面白くも何もありません。

やはり柿の種です。母なる「柿」に、最後はもどしてあげたい。
誰もが一度は考えることです、
母親のお腹の中に戻ってみたいって。ホントカヨ?

全ての生きとし生けるものにとって、生きていないものにとっても、最後の最後は元居た場所に戻るというのが最高の幸せかもしれません。

柿の種を柿に戻して幸せにしてあげたい...

 

何やってんだか、私。

でもね、これ、意外においしかったよ。
おススメはしないけどね。

このしあわせな柿の種は結構辛いの。
子供の頃に食べた柿の種を思い出しました。
今はすごく食べやすくなっているものが多いけれど、昔の柿の種は結構辛くて、私には大人の食べ物という記憶があります。

この辛さが柿の甘さにとても合う。

あ、あくまでも「意外に」おいしかったというものでして、強くおススメするものではないことは、しっかりとお伝えしておきます。

やば、やめられない止まらない、となってしまい、この柿の種、一気に食べてしまった...。