先日、今年の新語・流行語大賞の候補として、30語がノミネートされました。
おかしいです、あの言葉が入っていない。
私の中では断トツに1位なのですが、見当たらないのです。
以前に、お料理のことをブログに書いたとき、「レシピを見たら負けた気がする」と書いて、それがある何人かの方々に反応していただいて、自分の中では、この「負けた気がする」というのが、頭の中でぐるぐる回るようになってしまいました。
私自身、この言葉に出会うと、過敏に反応してしまっているのです。
私の中では、この「負けた気がする」が断トツで大賞なのですが、どういうわけか候補としてノミネートさえもされていないのです。おかしいなぁ(笑)。
それにしてもほしさん(id:star-watch0705)までもがこの言葉を使っているのにはびっくりしました。こないだの記事に対していただいたブコメです。
年代物のボジョレーヌーボーを飲んだ話 - 通りすがりのものですが
うちの近所のスーパーでも張り切ってボジョレーを売り出し始めましたが、それに乗ってしまうのはなんか負けた気がして……。そのくせ妙にワインが飲みたくなって、メルシャンのワインをつい買ってしまいました笑。
2021/11/21 10:01
ほしさんのお気持ち、よーくわかります。ひと昔前の私がそうでしたから。最近はお酒についてはあまりこだわりがなくなってきて、今回初めて、自分の意思でボジョレーヌーボーを買ったものです。
それにしても、ほしさんが私の記事に影響されてこの言葉を使ったとは思えないし、「負けた気がする」というのは、やはり今年注目されている言葉、つまり候補としてノミネートされるべき言葉だったのです。実はたくさんの人たちの心の中に、潜在的に渦巻いている言葉なのではないでしょうか。今からでも遅くはありませんので、関係者の方が見ていらっしゃったら、是非とも候補の片隅にでも置いてください。泡沫候補の扱いでも構いませんので、よろしくお願いいたします。きっと私が喜ぶと思います。
なぜ私がここまでこの「負けた気がする」という言葉にこだわるか。
なぜならとても危険な言葉だからです。
「負けた気がする」は理屈では説明できないのです。人間の本能に基づく欲求です。とても厄介なのです。
実は、私は勝ち負けに関してはあまりこだわらない方です。
負けず嫌いなんてとんでもないのです。私が負けることによって喜んでくれる人がいるなら、誰でもというわけでもありませんが、その方が私は幸せです。
実際に、若い頃は女の子とトランプ等のゲームで遊ぶようなときは、相手に気が付かれないようにそっと負けることに快感を覚えていました。負け方には技術と経験が必要です。簡単なことではないのは、相手に楽しんでもらうということを最優先とするからこそのことです。。
ただし、それにときどき気が付く人がいて、「負けてくれてありがとう」なんて言われてしまうと、なんだか本当に負けた気分になったものです。それは真の意味での負けです。悔し――っ。
つまり「負けた気がする」というのは、自分がこだわっていることについてのみ、有効なのです。どうでも良いことは何が起ころうとも負けた気がすることはないのです。
それならば何が危険なのか。
とある「も」のつく方は、この言葉にとりつかれて、ご自身の健康を害してしまいそうになりました。
もう1つ、例をあげましょう。
昨今、大問題となっている煽り運転。本人は軽い気持ちでやっていても、死者が出るような事故にまでなることもあります。
これって、煽らないでいると「負けた気がする」からやってしまうのではないでしょうか。
例えば急に割り込まれたからといって、到着時間が何時間も遅れるわけではありません。実質的には自分にはほとんど不利益があるわけではないのに、なぜ煽り運転に駆られるのか、それは「負けた気がする」の一言で説明できるのではないかと思います。負けた気がするというのは、いつの世でもどうしようもないことばかりなのです。
負けた気がしないことによって得られるものなんて、ほんのちょっとばかりの優越感です。そんなもののために、一生を台無しにしてしまう可能性がある。ちょっと怖くなってきました。
(ここまで書いて、この記事をどの方向に持ってい行けばよいのか、わからなくなってきました。)
つまりは、「負けた気がする」を新語流行語大賞に選出して、この言葉の危険さを皆様に周知していただきたいのです。
時によっては、負けてしまった方がわが身のためでもあるということです。
そろそろ文章が行き詰ってきました。お茶を濁して終わりにしたいと思っていますが、なかなか着地点が見つかりません。
最初の方に「負けた気がする」は理屈ではないと書きましたが、どうやら「へ」がついて屁理屈だったのだなということがお分かりになっていただけたかと思います。
どちらにせよ、この「負けた気がする」が気になって仕方ない今日この頃なのでした。