けっこう真面目に答えてみました

こないだのこちらの記事

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しーちゃん(id:rtaroyma)さんからなかなか強烈なブコメをいただきました。

左手の方の神経伝達物質の動きが速すぎる - 通りすがりのものですが

眠いという意識が脳に行く前に寝てしまい、どんぶりに顔をつっこむという、中年オバさんの問題点はどこでせうか。またバイクに乗っていていつのまにか壁が近づいてくるという、オバはんの才能について述べよ。😱

2023/06/10 13:51

 

一点の曇りもない、透き通った真直ぐな心をいつまでも持ち続けている私といたしましては(どこがじゃ?)、このしーちゃんさんのお悩みに、真摯にお答えしたいと思いました。

このタイムラグには私も相当苦しんだ方だと思います。
私の吃音にしたって、意識が言語化されるまでのタイムラグによるのも原因の一つであると考えています。
吃音というのは、意識しすぎると緊張して言葉が出て来ないものですが、一方で全く意識しないでいて、思いついたことを急に話そうとすると、これまたタイムラグによって、発音器官の方がまだ準備ができていないなんてことがあるのです。

昨日の記事にも書きましたが、私は急な変化に弱い。
脳がこのスピードの追いつかないのです。

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簡単に言えば、脳の回転が遅い。

しかし、遅いばかりではなく、ときどきものすごく速すぎて、逆のタイムラグが起こることもあります。これもまた大変です。*1

つまりは、いろいろな神経・脳神経が同時進行で動かないのです。

このタイムラグを乗りきるには、意識をできるだけ前に持っていくことが必要なのではないかと思っています。そうすることによって、全ての神経反応をそこに収束させる。

昨日の記事にも書いた通りなのですけれど、これから起こりうる様々なことを、予め想像して準備しておく。これに尽きるのかなと思っています。

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若い頃の私は、今できることは全て今やる。そして、うまく行かなかったときのために、オプションを何通りも用意しておく。そんな仕事の進め方をしていました。それは何かトラブルがあると、なにも用意できていない状況では、簡単に行き詰まってしまうからなんです。普通の人なら行き当たりばったりでもなんとかなってしまうことでも、自分はそれができない。上の人には、何をそんなことに時間かけているんだと疎まれていましたが、私はそういう仕事の進め方しかできなかったなと思っています。

あ、今はそこまでするエネルギーがないので、今やれと言われても無理だと思いますけど(笑)。

でも、同じ仕事をそのまま続けていたとしたら、端から見れば無駄なことだって、今までの蓄積は必ず役に立つはず。もちろん、その都度、新しいものは足していかなければなりませんが。

しーちゃんさんの場合は、まずは、どんぶりが目の前にあれば、そこに顔を突っ込む可能性をいつも意識することです。そして、顔をどんぷりに突っ込んでしまった場合の対応を、予めしっかりと用意しておきましょう。

バイクでいつの間にか壁に近づいてしまうことに対する対応は、視線を自分が本来進みたい方向に向けて、できるだけ前の方に意識を持っていくことである程度は解決すると思います。

あ、実は私もその壁がいつの間にか近づいてしまうタイプでした(笑)。意識して視線を前に持っていくようにしていたら、ほとんどなくなりましたよ。

こんなところで如何でしょうか?

本当は、中島らもさんバリに「明るい悩み相談室」みたいになったらよかったのですが、私にはまだまだ彼ほどの含蓄はないようです(笑)(笑)。

 


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*1:ずーっと前にも書いたことがあるかも知れませんが、例えば中高生のころは数学ならアホ教師に負けない回転の速さでした。
高校受験の直前の授業で、手抜きをしたアホ教師が入試の過去問を生徒たちに解かせたのです。教師も生徒と同時に解き始めました。できた者から採点をするから持って来なさいと。
私は5分くらいで全問解いて(もちろん全問正解でした)、そして教師のところに持って行ったのですが、そのアホ教師はまだ1問くらいしか解けていませんでした。
そばでじーっと教師が解いているのを見ている私。途中で間違いを指摘するイヤミな生徒でした。
ちなみにその教師は横浜国立大学出身。私のいた中学では珍しく国立大学出身でしたが、えーっ?横国ってこんなに程度が低いの?絶対に行かない!と心に誓ったものでした。

また、大学入試では、最後の共通一次を受けていますが、数学では確か制限時間90分のところ、20分で終わって(もちろん全問正解)しまったこともあります。この時は、次から次へと溢れてくる思考に、鉛筆を持った手が追い付かないほどでした。