歌は聴いている側の感情が主役だよなって思うんですよ~大貫妙子「春の手紙」

こないだの焼いもの日。

 

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焼いもを食べながら、ずっと脳内で駆け巡っていたのがこの歌。

大貫妙子 「春の手紙」


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もう30年くらい前に放送された、片岡鶴太郎主演のドラマ「家栽の人」のエンディングでかかっていた歌です。(家栽の栽は、裁判所の裁ではなくて、栽培の栽です)
このドラマ、近年、船越英一郎主演でも放送されましたが、片岡鶴太郎は見事に草っぽかったのに対して、船越さんはちょっとネチネチしていて、植物みたいな感じがあまり無かったな(笑)。

この歌本当に大好き。
冬から春へと向かうこの時期にピッタリの歌だと思います。

大貫さんのふわふわした高い声の歌い方がとても合ってる。
私の感情や思考を邪魔することなく、私の心の中で広がって響きます。
聴いている私が主役なんです。

歌って、そういうものだと思う。

自分が自分のために歌うのなら、好きに歌えばよい。
自分の気持ちの趣くままに、自由に感情を表現すればよい。

でも、誰かに向けて歌うのなら、それが不特定多数ならなおさら、聴き手の感情を邪魔するような歌い方はあまりしない方が良いのかなと思っています。

私はその歌を自分にとって好きに受け止めるだけなんです。
どう受け止めようと、それは私の自由。
歌で自由になれるとはそういう事だと思っています。

こんなに好きな歌なのに、今となってはわざわざ聴くことはほとんど無いんですよね。
ときどき急に思い立って、忘れないようにとときどき聴くくらい。

今までに何度も何度も聴いて、自分の中にすでに完全に染みついているから、特別に聴かなくても、この歌を思い出せば心の中で響きます。そしてあたたかい気持ちになれる。
大貫妙子の歌声のこの歌は、すでに私の感情に溶け込んでいるんです。

私の感情が主役で、この感情に寄り添ってくれている歌の方が脇役。

こないだの八代亜紀さんの記事でも同じようなことを書きましたね。

 

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あまり感情を入れた歌い方が好きではなくて、その原因は何なのだろうとずっとモヤモヤしていたのですが、その気持ちが言語化できて少しすっきりしました。

この「春の手紙」の歌詞の一番最後のところ

春へと贈る
手紙は今も
ピリオドをうてずにいるから
あなたと生きている

おりょー♪さんをはじめ、亡くなった人はもちろんですが、まだ生きているけどもう二度と会うことはないであろう人の中にも自分にとってとても大切な人もいて、私は今でもその人たちと一緒に生きているんだなって思っています。

 

やっぱりピリオドは打てないですよ。

 

Amazonの商品ページは、これをおすすめしていると言うわけでもなく、ましてや売り付けようなんて気持ちはサラサラ無くて、ただ面白そうだからというだけのことです。